唐 津 く ん ち
 

 

 11月2日から4日までの3日間、普段は静かな城下町も、祭り一色に塗りつぶされる。
 11月2日19時30分、唐津っこの血が騒ぐ「唐津くんち」の幕が、花火を合図に切って落された。
 まずは各町内から引き出された14台の宵山が、「エンヤ!エンヤ!ヨイサ!ヨイサ!の掛け声とともに町内を練り歩く。
 
 唐津の小笠原藩は、小さな大名だった。周りには、肥前鍋島藩、筑前黒田藩、肥後細川藩と、外様の大藩がある。その見張り番としての存在だったのだろうか。
 そんな小藩に咲いた江戸末期からの町人文化の花は、唐津町人の心意気として、見事に受け継がれた伝統行事。曳き山行事は国の重要無形民族文化財に指定されている。  
 

 

 唐津くんちは唐津神社のお祭り。江戸時代から 唐津の町人の心意気として受け継がれたこの伝統の祭りは、あの戦時中も休んだことがないそうだ。
 昭和天皇が逝去れた平成元年も各地の祭りが自粛されるなか、この唐津くんちだけは開催され、伝統を守った。
 その伝統の祭りも11月3日の「お旅所神幸」の砂場への引き込みで最高潮を迎える。
 ところが今年は、その曳き込みが雨で中止になった。こんなどしゃ降りの雨は記憶にないと思ったら、曳き込み中止は何と1933年以来68年ぶりとか、残念至極。
 

 

 唐津くんちの名物は何と言っても曳山。江戸時代末期から明治初期にかけて造られた山は全部で14台。刀町の1番山から江川町の14番山まで、古い順に並んで街を練り歩く。
 昔は15台あったそうだが、紺屋町の山は火事で焼失したとか、もったいないことをしたもんだ。一時、再建の話も持ち上がったが、何しろ半端な金額じゃないから…。
 唐津くんちの名物はもう一つ、「三月倒れ」といわれるご馳走の豪華さ。唐津の町人達は3ヶ月分の稼ぎをこのくんちのご馳走につぎ込む。
 昔は「無礼講」と言って、見知らぬ人にでも酒やご馳走が振舞われたとか。でも、さすがに今はそうはいかないようだ。
 

 

 曳き山の曳きこ達は、にく襦袢とハッピ姿にあこがれる。「チョーかっこいい」そうだ。盆や正月には帰省しない若者達も、この日ばかりは、山を曳きに帰ってくる。
 唐津の人達にとって「唐津くんち」への想いは半端じゃない。たとえ山は曳けなくても、見るだけの参加でも、どこにいても毎年必ず帰って来るという人も多い。まさに血が騒いでどうしょうもない3日間なのだ。
 そんな想いの唐津くんちの曳き山も、4日の夕方ついにフィナーレを迎える。3日間町内を曳き歩いた山が、いよいよ展示場に曳き込まれる。
 山は名残りを惜しむように、展示場の入り口を出たり入ったり、何度も何度も繰返す。ここに入れてしまったら、来年まで引くことはできないのだ。
 ここには、感極まって泣き出す男達と、もらい泣きする観衆の感動のドラマがある。
 

♪玄界灘を ゆりかごにゆりかごに 松浦嵐を子守唄子守唄
育ったおいらは唐津っこ唐津っこ あぁエンヤー!エンヤー!♪
 

 

2001.11.2〜4