おすしの辞典                             

あがり 御茶の事です。
昔 寿司屋は屋台で始まりましたので、
水の確保が大変で それで お茶は最後に一杯だけに出してました。
もともと お寿司『江戸前の握りずし』を食べるときには
お酒を飲んでましたので
お茶は いらなかったのです。
それで最後に熱いお茶で 生臭みを消してました。
又御代わりをしないように『人件費節減の為』
そしてお茶の温度が冷えないように大きな湯のみで
提供してました。

又直ぐに大量の新しいお茶が出せるように
粉茶を使ってます。

ついでの情報ですが
屋台の寿司屋は銭湯の前に店を出してました。
何故って、手を洗う施設が要らないからです。
てで直接つまむ寿司は 綺麗な手の人しか買わないのです。
お手元 箸のことです。
よし竹では名前に合わせて 竹の箸を使わせていただいてます。
ガリ しょうがの甘酢付けの事です。
昔は長崎産(生産量1,2を争う)の しょうがを包丁で削ってつかってました。
今はタイ産の生姜芋を 使ってます。
そちらの方が繊維が細く優しいので大変美味しいからです。
日本産の生姜は 紅生姜 甘酢付けとも
駆逐されてます。
ほとんどが現地(タイや台湾)で味付けされたものが
使われてます。それで何処のガリでも高級店でも
スーパーでもかなり同じ味がします。
よし竹では塩漬けの生姜を購入し 当店で味付けをしてます。
生姜屋さんの販売実績によると 
味付けガリ(甘酢付け)1000に対し塩ガリは1ぐらいだそうです。
販売量を日本で1、2を争う生姜屋さんにしても、
塩ガリを買って 使ってる店は
九州では鹿児島のある店と よし竹の2店舗しかないそうです。
いつまで塩ガリを売っていただけるのか不安ではあります。
醤油の事です。
醤油はいろんな種類があり
育ったところで感性も違います。
よし竹は某メーカのお刺身醤油をそのまま 使わせていただいてます。
いろんなものを追加していれたり他の醤油を合わせて見たりしましたが
折角入ってるアミノ酸を殺す事になりなんとなく風味がなくなったような気がするので そのまま使わせていただいてます。
もうすこし勉強の余地がありそうです。
関東は少し塩分濃度の強いさらっとした醤油が使われ
西に下るほど塩分濃度の薄いドロっとした醤油が好まれます。
これは お米の味が関係していた名残だと思われます。
昔は水分濃度の規制等があったため 
関東と関西でお米の流通が 行われず。
お米の味が違っていた(関東のほうが甘くてやわらかい)ため
醤油の嗜好が違っていると思われます。
それだけが原因ではありませんが。

最後によし竹では お寿司用の醤油以外に6種類の醤油を
用途に合わせて使い分けてます。
シャリ
(舎利)
もちろんお米の事です。
お米の話を書くともう一ページぐらい要りそうですが
よし竹では、地元の食品をなるだけ使いたいので
契約した宗像の方が
作るコシヒカリ、ヒノヒカリを中心に使っております。
又、40年来のお付き合いのある信頼ある米穀店さんにお願いして
宮城県産のササニシキも使っております。
種類も大事ですが 最終的には炊き方が一番味に影響すると自負しております。
ネタ ・タネ おすしのお米の上に乗ってる食材部分の事です。
よし竹では常時20種類ぐらいは 揃える様に努力してますが
夏は中々そろわないです。
又 旬じゃない魚はなるだけ仕入れないようにしております。
近年いろんなものがネタとして使われております。
雲丹なんかも戦後のネタで
イクラもそうです。美味しいものはどんどん取り入れられていきます。
よし竹も遅れないように勉強させていただきます。
ただ舎利が死ぬような味の濃いものや 口の中でネタだけ残るようなものは中々使いづらいです。やはり舎利と調和が取れてこそのお寿司だと思います。
ステーキの握りははたしてシャリの味がするでしょうか?
ゲソ 烏賊の足のことです。烏賊については お魚辞典を参照してください。
ヅケ 鮪の赤身を醤油に漬け込んだものです。
昔冷蔵庫がなかったころの保存をかねた調理法です。
私はそのマンマの鮪に醤油をつけるほうが好きです。
オアイソ
御愛想
お客様の支払い お勘定の事です。
ヒカリモノ光物 鯖や鯵など青物(背中が青い魚)の魚ことです。
酢で〆ると美味しい魚のことでも有りますが、〆なくても青物に分類される魚もあれば〆ても白身に分類される魚もあります。
鯛は普通〆ても白身ですが 
幼少のとき(春日鯛)(一口サイズのときに〆ると青物になります)
ツケダイ
付け台
カウンターの上にあるお寿司を載せるところです。
一応食器ですから その上に使い終わった皿やコップを載せるのは
不衛生な行為となりルール違反となります。特に灰皿は載せないでください。
玉〔ギョク〕 玉子焼きのことです。おすしの成り立ちの上で
関西の散らし寿司や巻き寿司〔太巻き〕に入ってた卵が握りずしになりました。
魚(白身)や海老 野菜を入れるところもあります。
カッパ
(河童)
きゅうり巻きの事です。伝説の生物河童が胡瓜を好きなことから粋人がこう呼ぶようになりました。昔は塩漬けした胡瓜を使いましたが最近では
生の胡瓜を使います。如何せん舎利やわさびの味が直接感じれる御寿司です。手抜きが出来ません。寿司屋にとっては店の味や実力が一発でばれるおすしなのでカウンターで頼まれるチョットと 怖い面があります。
鉄火 マグロの小巻にした、おすしです。
サンドウィッチと同じく賭場で手を汚さず食べれるので人気があり
鉄火巻きと呼ばれるようになりました。
ここまでは皆さんよく知ってると思います。
だから 昔は小巻寿司のことを 鉄火巻きと呼びました。
そして小巻寿司は おぼろ巻きのことでした。
そうです昔の鉄火巻きはおぼろ巻きのことでした。
それがいつしかマグロを巻くようになり マグロ人気から
いつの間にか鉄火巻きは マグロ巻きの事を呼ぶようになりました。
決してマグロに鉄分が多いので鉄火巻きと呼ぶようになったわけではありません。
バッテラ 鯖の押し寿司です。
もともとは 明治27,8年ごろ 鮓常と言うお店がコノシロの寿司をにぎり
お客さんが尻尾がぴんと張ってるのが ボート(オランダ語でバッテラ)に似てるので バッテラとつけました。その後いつしか安い鯖に取って代わられ
昆布が乗るなど改良されていきました。
いなり寿司 揚げを使ったお寿司で 天神様のお使いの 狐の好物と言う事で
狐寿司と呼ばれてました。今でもそう呼ぶ方もいます。
天神様は当然稲荷神社で 又稲荷神社の側の稲荷ずし(お店の名前)
の狐寿司が評判を呼び いなり寿司と呼ばれるようになりました。
おぼろ 海老をすり身にして砂糖と塩で味を付け火を入れたものです。
寿司の日
11月1日
話せば長くなりますが
歌舞伎の義経千本桜(歌舞伎18番狂言)の中に『鮓屋の段』と言うのがあります。
ここに出てくる鮓屋の弥助 『平維盛』(たいらこれもり)
が壇ノ浦の戦いで敗れた後 鮎を材料にする寿司屋に身を寄せ ここの娘お里と 恋仲になり 養子となり侍の身分を捨て鮓屋となる決心をし弥助と改名したのが 11月1日 でした。そのおすし屋は今も現存し 
奈良県下市村 釣瓶鮨屋 弥助鮨です。

それを記念して 昭和36年11月に 全国すし商環衛連の第4回熊本大会において 毎年11月1日を 実りの秋・収穫の秋・米への感謝の日として
全国すしの日とする事になりました。
すしの日のもっと詳しい解説 寿司の日の始まり
1961年(昭和36年)11月に全国寿司商環衛連の第4回全国寿司商環衛連・
熊本大会の際に 毎年11月1日を みのりの秋・収穫の秋・米への感謝の日として 「全国すしの日」にすることが決議されたのが始まりです。
これは、食欲味覚の秋に伝統のすしの真価を一般の方々へ浸透させ、老若男女の別なく十二分に愛食していただき、また、一年間のご愛食への謝恩に報いるためにとのことです。

すしの日を11月1日にした理由
義経千本桜(歌舞伎18番狂言)の中に『鮓屋の段』と言うのがあります。
ここに出てくる鮓屋の弥助がすし屋の先祖とされてます。
この話は、江戸中期の戯作者・竹田出雲の作ですが、登場人物の鮓屋の弥助、つまり平維盛は 歴史上の人物です。

『鮓屋の段』のあらすじ
維盛は平清盛の孫に当たり 平家の総大将でしたが 壇ノ浦の戦いで破れ
源氏に追われ 義経の追討を逃れて、旧臣宅田弥左衛門の家にかくまわれます。宅田弥左衛門は、郷里の大和国(奈良県)吉野郡下市村で、付近を流れる吉野川の鮎を材料にして鮓屋をしていました。そこに維盛が現れかくまわれているうちに弥左衛門の娘(お里)との間に 恋心が芽生え 養子となり維盛改め
鮓屋の弥助となります。

平維盛が鮓屋の弥助に改名した日が11月1日である為、この日を(すしの日)と
意味づけています。
奈良県の下市村にある「釣瓶鮨屋」は代々、宅田弥助を850年にわたって
48代連綿と襲名してるそうです。
又この吉野地方で作られる鮎の寿司は、「延喜式」にも出ている、古来からのものであり、釣瓶鮨や弥助鮨が挙げられる。
釣瓶鮨の始まりは、弥左衛門が郷里大和市に帰り、近くを流れる吉野川の鮎をとり、塩お聞かせ、おにぎりの上に乗せ、釣瓶の形をした桶に何個か並べて
重ね石の重石をかけて2〜3日してご飯が自然発酵した、いわゆるなれ寿司を作ったが これが桶の形から釣瓶鮨と名づけられたのが始まりとなっている。
弥助鮨は釣瓶鮨「鮎のなれすし」のかわりに早すししてご飯鮎を酢で処置した鮎の姿すしである。 
恵方巻き
2月3日節分
恵方巻き
最近巷で流行の恵方巻き
今日は恵方巻きについて ひとくさり
北九州では恵方巻きと言う風習は最近まで ありませんでした。
大阪発の風習いや愛知(名古屋だ)とか香川県が発祥の地であるとか
いろんな諸説が乱れ飛んでますが定かではありません。
大阪の海苔問屋が販売促進の為にはじめたいう説や
なかには江戸時代の大阪の花街での風習で 
太巻きを 殿方の〇根に見立てて
今年も良い旦那が見つかりますようにと お姉さま方が遊びで始めたのが 
始まりという説もあります。
案外 節分にはその世界で 色物とかお化けとか言う遊びがあるので
あながちそうかもしれません

北九州では6〜7年前より 徐々に浸透しだし セブンイレブンやスーパーが
販売拡充の為の特販品として取り上げるようになり
全国的に広まりました。

恵方というのは えほう、と読み 幸福がやってくる方向 福の神がやってくる方向のことで 吉方とも書き 毎年その恵方は決まってます。
 福の神とは 歳徳神(としとくじん)年の神様で 正月のお飾りも実はこの歳徳神をまつるためのものだそうです。
 江戸時代、恵方参りという風習があり、これは自宅から、恵方の方角にある寺社に年始まいりをすることでした。
恵方はその年の干支のうち、十干の方で決まる。
「甲・己」の年→寅卯の間・甲の方位(東北東)
「乙・庚」の年→申酉の間・庚の方位(西南西)
「丙・辛」の年→巳午の間・丙の方位(南南東)
「丁・壬」の年→亥子の間・壬の方位(北北西)
「戊・癸」の年→巳午の間・丙の方位(南南東)
 と、なるらしい。
 節分に年の神様がでてくるのは、もともと節分とは、新年と旧年の境目と考えられており、昔は『節分に年をとった』のでした。今でも年の数だけ豆を食べる習慣にその考え方の名残が残っています。
又巻き寿司は 鬼の金棒にたとえられ それをまる齧りすることによって
鬼は 金棒を食べる人間さまをみて これは敵わんわいと 退散するようにとのことだそうです。


まだまだ色々面白い話があります。
なんでも質問してください。