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| 三陸の海を放射能から守れ! | |||
| ― 第二部 アクティブ試験はなぜ強行されたのか ― | |||
(5−2) |
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| チェルノブイリ原発事故から二〇年 原子力発電というと、最先端の科学で高度の知識や技術が結集されたものと思われるかもしれない。しかし、原子力発電でやっていることは単にお湯を沸かしているだけである。沸かした湯気でタービンを回し、発電機で電気を起こす。火力発電と仕組みは同じだ。 お湯を沸かすのに、火力発電は石炭や石油を燃やし、原子力発電はウランを燃やす。それだけの違いなのだが、実は、ここに原子力発電が抱える問題のすべてがある。 一基の原発でどれだけのウランを燃やすかご存知だろうか。標準的な原子力発電所では一年間に一トン、これは広島原爆の一〇〇〇発分以上になる。といっても想像もつかない数値なので別の例をあげよう。 一九九九年に東海村でJCO臨界事故が起きた。この事故で四三六名(注)が被曝、うち二人が死亡している。この時に核分裂を起こしたウランはたった一ミリグラムである。 (注・科学技術庁の公表だが、避難業務に従事した東海村職員や警察官などは含まれていない。) 原発はこの一〇億倍、単純に計算すると、原発で臨界事故が起これば二十億人が死ぬことになる。これほど桁違いの「恐怖」を抱えているのが原子力なのだ。そしてこの「恐怖」が不幸にも現実となったのがチェルノブイリである。四月二六日でちょうど二〇年が経つ。 原発はトイレのないマンション 日本では原子炉が崩壊するような事故は起きていない。しかし、これはただ単に幸運だったというだけにすぎない。「想定外」の事態は、今この瞬間にも起こりうる。まして、宮城県沖地震はいつ起こるとも知れないのだ。このことをぜひ頭の片隅(すみ)にでも入れておいてもらいたい。 さらに原発は、事故がなくとも、致命的な欠陥を抱えている。放射性廃棄物(核のゴミ)である。原発は当初から、この放射性廃棄物の処理方法が決まらないままに建設が進められてきた。 トイレがないにもかかわらず、あるかのごとく「偽装」したマンションと同じである。そして現在、この「トイレのないマンション」は日本中に五四基もある。 原子力発電が商業発電を始めて四〇年を過ぎたが、いまだその処理方法は決まっていない。原発を推進してきた官僚たちは、その辻褄を合わせるために躍起になっていたが、それもできなくなったのか、最近になってこんなことを言い始めた。 「放射性廃棄物処分の問題は、原子力の恩恵を享受した私達の世代が解決しておかなければならない問題であります。」(科学技術庁パンフレット「いま、考えてみませんか」) 国民の合意をとることもなく勝手に原発を作り続けておきながら、今になって、こともなげに言うのである。恥を知らない、というのもまた官僚の習性のようだ。 放射能にまみれる再処理工場 再処理工場も、実はこの辻褄合わせの産物である。と、一方的に再処理を批判するのは不公平なので、推進する側の言い分も聞いておこう。 原発で使われた核燃料(ウラン)には、@燃え残りのウラン、A核分裂生成物(いわゆる死の灰)、B新たに生まれたプルトニウムの三つが混然一体となって含まれている。 これを再処理することによって、@ウランを取り出し、A死の灰をガラスで固めて半分にし、Bプルトニウムも取り出して新しい燃料として使う、というわけである。 再処理によってウランとプルトニウムを、それぞれ一%、稼動時には年間八〇〇トンを処理するから、八トンずつ取り出すという。 もともと再処理は、原爆の材料であるプルトニウムを取り出すための軍事技術である。実際、イギリスのセラフィールド再処理工場はそのための軍事施設を商用施設に転用したものだ。 では、使用済み核燃料の再処理はどのように行なわれるのであろうか。まず、図のように、燃料棒を被覆管ごと剪断(せんだん=ぶつ切り)し、高温高濃度の硝酸で溶かすという危険きわまりない作業から始める。この時点ですでに臨界事故と隣り合わせである。 その後の工程についても同じ、放射能まみれになり、ひとつ間違えれば大惨事となる危険な作業の連続だ。そして各工程それぞれに放射性廃棄物が出る。放射性ガスは大気に放出され、放射性廃液は海に垂れ流す。 |
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(資料提供:原子力資料情報室・止めよう六ヶ所再処理工場 「六ヶ所再処理工場の問題点」) |
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| 再処理工場は辻褄合わせの産物 すでにアイリッシュ海は、セラフィールド再処理工場の廃液によって、放射能で世界一汚れた海になってしまっている。アイルランドやノルウェーが何度となく工場の停止をイギリスに求め、ついには国際裁判にまで発展している。 さらにセラフィールド再処理工場は、昨年の四月に配管の放射能漏れを起こしてそのまま停止してしまった。解決の方策もなく、どうやらこのまま閉鎖となるようだ。 これほど危険な再処理を、それでもなぜ進めようとするのだろうか。 これも、一度決めてしまった原子力行政の辻褄を無理やり合わせてきて、結局は後戻りができなくなってしまった、その結果に過ぎない。 六ヶ所村に有識者で組織する村原子力安全管理委員会がある。二月末に村役場で、原燃を交えてアクティブ試験についての質疑を行った。プール水漏えいなどトラブルが次々と発生することに絶えられず、ある委員がこう言ったそうである。 「再処理工場では事故は起きない、起きても人体に影響はない、という言葉をうのみにしてきたが、何もかも安心、安心というあなた方の説明は、今までの経緯から納得できない。」 責任逃れの小細工を弄しながら、辻褄合わせに奔走する官僚たちに、この声は届いているのだろうか。 |
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(『三陸新報』 2006.04.13 ) |
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