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| 平成24年は辰(たつ)年です | ||||
| 目次 | 七福神リスト | 浅草七福神 | 隅田川七福神 | 七福神マップへ |
| このページで紹介する七福神はもちろん浅草七福神ですが、隅田川を渡って墨田区にも隅田川七福神があります。あわせてご案内致しますので、ぜひ一度お出かけ下さい。どう云う訳か浅草の方は七社寺ではなく九社寺からなっていますし、隅田川の方は掛け持ちで2人の神様を祭る神社があって六社寺になります。 浅草の方は全部回るには少々離れすぎていますが、隅田川のほうは多門寺以外は近くにまとまっています。お正月にはハトバスも運行されていますので時間がない方は利用されてはどうでしょう。 七福神は日本、インド、中国の神様の集まりで宝船に乗っています。この宝船信仰は江戸時代に民衆の間で新春の初詣の行事として定着したと伝えられています。七福神の名前とそれぞれのご利益の受け持ちは以下のとおりですが、解釈によっては異なるご利益もあるようです。 まずはこれを参考にたくさんの福が授かるようにお参りしましょう。 |
| 大黒天 (だいこくてん) |
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有富 蓄財 |
大国主の命ともいわれインドの神様、福々しい顔をして打ち出の小槌、2俵の米俵の上に立ち、大きな袋を持っています。五穀豊穣ひいては糧食を司り台所の守護神とも言われています。 |
| 恵比寿 (えびす) |
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愛嬌 蓄財 |
ただ一人日本の神様、兵庫県西宮の祭神で釣り竿を持ち鯛を抱えている。医業・漁業・商業の守護神から商売繁盛をを授ける。「えびす顔」と例えられる様に尊顔・福徳の神とされている。 |
| 毘沙門天 (びしゃもんてん) |
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勇気 授福 |
インドの神様、仏教世界を守る四天王のうちの多聞天とも呼ばれています。甲冑を身につけ、宝搭(福をもたらす)と金剛棒(邪を払う魔よけの力)を持っています。財を授け、武神として戦闘の神様といわれる。 |
| 福禄寿 (ふくろくじゅ) |
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人望 福徳 |
中国の神様、長い頭から仙人を思い出す、道教の理想である幸福・身分・長寿に福があり、鶴に乗って飛びまわることから、旅行の安全にもご利益ありとされる。 |
| 布袋 (ほてい) |
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清廉 度量 |
堪忍と和合を教えてくれる中国伝来の神。唐の時代に実在した禅僧・弥勒の化身と言われ、布袋和尚として親しまれている。大きなお腹と大きな袋が特徴、弥勒菩薩の化身として尊ばれてきた。家庭円満。 |
| 寿老人 (じゅろうじん) |
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延命 長寿 |
中国の神、白鬚をたくわえ笑みを絶やさない、杖と団扇を持ち不老長寿の象徴と言われる鹿と鶴を従えている。諸病平癒の神であり、健康と安全を守ってくれる神様。 |
| 弁財天 (べんざいてん) |
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芸道 富有 |
インドの神様で音楽・弁才・福智などを司る。七福神の中で唯一の女神、琵琶を奏でる姿が特徴、「財」の文字から蓄財の神ともされ、学問・芸能・芸術・弁舌の神としても崇められています。 |
| 浅草寺 | 浅草神社 | 待乳山聖天 | 今戸神社 | 不動尊 | 石浜神社 | 吉原神社 | 鷲神社 | 矢先神社 |
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| 聖観音宗の総本山で浅草地区の中心をなす存在、推古天皇36年(西暦628年)に始まり、広く庶民の信仰を集めている。徳川幕府の祈願所として享保の改革の頃まで寺領500石が与えられていました。江戸時代初期三代将軍家光公によって慶安2年(1649)寄進された本堂は昭和20年(1945年)の米軍による空襲で焼失しました。現在の本堂は昭和33年(1958年)再建され、今年(平成20年)は丁度50周年になります。 | ||||
| 観音堂 |
観音堂の外陣 |
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| 浅草寺の観音菩薩像の発見にかかわった、土師中知(はじのなかとも)と檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の三人を祀っているので三社さまともよばれる。5月に行われる三社祭が一番の賑わいを見せる。現在の社殿は浅草寺の本堂とともに江戸時代・三代将軍家光公によって寄進されたもので国の重要文化財に指定されています。 | ||||
| 本 殿 |
神木「えんじゅの木」と本殿 |
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| 浅草寺の支院、夫婦和合のご利益、大根まつりが行われることでも有名。隅田川近くの高台にあり、川を航海する船の目印となっていた。区の説明板では創建は浅草寺よりも約30年古いとある。場所は松屋と隅田川の間の江戸通りを北へ、言問い通りを渡って最初の信号左側、松屋から徒歩で10分くらい。 | ||||
| 本 堂 |
復元された戸田茂睡の歌碑 |
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| 小高い山の上に鉄筋朱塗りの聖天宮がある。「聖天は娘の拝む神でなし」と川柳が示すように、秘仏は男女抱合像といわれる。縁結び、夫婦和合、一家繁栄、商売繁盛を求めて二股大根が供えられてきた。 本尊の双身抱合像は、頭や顔が象の形で身体は人間である。男天は魔王、女天は十一面観音の化身といわれ、観音が魔王を解脱させて、仏道に帰依させた姿とされている。 風景に優れている待乳山は、浮世絵に数多く描かれた。広重「江戸名所百景」の「待乳山山谷掘夜景」が有名 |
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| 大根と巾着 境内の各所に印されいる巾着や大根は、ご信心をされて祈願することによって得られるご利益を表したものです。 大根は人間の深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表すといわれており、大根を供えることによって聖天さまがこの体の毒を洗い清めてくださいます。その功徳によって体を丈夫にし、良縁成就・夫婦仲よく・一家和合をお加護いただけます。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示されたものです。 |
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| 待乳山のいろいろ ・江戸時代中期には境内の面積は2870坪余り、下町の中に鬱蒼とした小山はひときわ目立つお寺でした。 ・隅田川の眺望にすぐれ、有名画家の錦絵などにも多く描かれました。詩や歌にも詠まれて江戸名所の一つとして知られて参詣客も多く、参道には掛け茶屋が軒を並べていました。 ・関東大震災や戦災にも遭って、現在の本堂は8年の工事期間を経て昭和36年秋に完成しました。鉄骨鉄筋の権現造りで建坪がやく240u(73坪)、内部は旧様式を踏襲した造りになっています。 ・外陣の格天井には竪山南風画伯による墨画の龍と左右には極彩色の天女の絵が描かれています。 ・大正12年の大震災の後、防災上の理由で山の周囲はコンクリートで固められました。 ・現在は海抜9.5m、敷地は1000u足らずの丘陵です。・ |
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| 元は今戸八幡と呼ばれて鎌倉の鶴岡八幡宮ともいわれのある古い神社、境内に沖田総司終焉の地の碑がある。近くは今戸焼の産地として栄えた。場所は松屋からきた道に出て北へ、Y字の信号を左方向最初の信号の左側 | ||||
| 本 殿 |
今戸焼きの大きな招き猫 |
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| 760年(天平宝字4)奈良東大寺建立に尽力のあった良弁僧都の高弟・寂昇上人が開創。当初は法相(ほっそうしゅう)宗でしたが、1163年(長寛元)住職の教円のとき、天台宗に改めた。鎌倉時代以降は浅草寺の末寺、現在は比叡山延暦寺の末寺。境内の大銀杏は隅田川往来の目印だった。本堂は1845年(弘化2)建立、小堂ながら江戸時代の建築様式を伝えています。ご本尊の不動明王は良弁僧正が相州大山寺で修法(しゅほう:国家又は個人のために加持祈祷する法式)しながら刻んだ一木三体不動のうちの一体で開運厄除け不動の秘仏。お前立ちのご本尊:不動明王は大きな度量、福を授けてくれる布袋さまそのものという姿で、古くから江戸市民に尊信されて来ました。 入口は通りから奥まっているのでうっかり通りすぎてしまわないように。場所は待乳山聖天から来た道に出て左へ、右に曲がって体育館前の道を左へ(車は逆の一方通行)左側に区立石浜図書館、先の信号を渡ってコンビニの先左側、今戸神社から徒歩でやく10分くらい |
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| 本 堂 |
本堂脇の祠、「百度石」 |
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| 近辺の総鎮守で724年(神亀元)の創建と伝えられる。戦災や地域の再開発に伴って昭和63年現在地に移されたが、ここはもと石浜城の跡地と推定される。場所は不動院を出てさらに北へ、明治通りを渡って100m左側(荒川区) | ||||
| 鳥居から本殿方向 |
本 殿 |
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| 近くの稲荷神社などを合祀して明治8年に創られた、新吉原遊郭の守護神、近くの弁財天には吉原の歴史を伝える碑が残っている。場所は先ほどの不動院と図書館の間の信号を西へ、吉原大門の信号を渡って国際通りの手前右側、近くに弁才天もあります。徒歩で20分は必要 | ||||
| 本 殿 |
久保田万太郎の句碑 |
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| 江戸時代中期から盛んになったお酉さまで知られ、縁起物の熊手は「福を掻き込む」意味をこめたもの。本家は足立区の大鷲(おおとり)神社。場所は吉原神社の前を西へ、道が曲がっていて分かりにくいけど国際通りへ出ればすぐ近く、吉原神社から徒歩で5分くらい | ||||
| 「浅草酉の市縁起」来る年の幸せを願う酉の市、始まりは長國寺に安置される、鷲妙見大菩薩のご開帳日に立つ門前市から。 浅草「酉の寺」長國寺に安置される、鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)は、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から、江戸時代「おとりさま」と親しまれて来ました。そのご開帳日(11月の酉の日)の門前市が酉の市と呼ばれ、現在の浅草酉の市の発端となっています。当時は、花又村(現在足立区)の酉の市を本の酉、浅草の市を新の酉といい、花又村のほうが盛んでした。しかし、長国寺東隣に移って来た吉原の賑わいとともに浅草長国寺の酉の市は江戸で一躍、有名になります。江戸時代には「お寺の境内に神社がある」ことは何の不思議もなく、あちこちで見られたことでした。明治時代になっての神仏分離令によって、長国寺は「酉の寺」長國寺と鷲神社に分かれて各々が酉の市を開いています。江戸の文化を伝える酉の市も、お寺での開催はこの長國寺だけです。(長國寺縁起による) |
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| 本殿前(酉の市の準備中) |
道を挟んで立派な構えのお寺:長國寺 |
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| 1642年(寛永19)家光がこの地に三十三間堂を建立し、守護神として稲荷大明神を勧請、矢先稲荷と名付けられた。 元禄11年(1698)焼失したが、当地の産土神として再建された。場所は浅草寺から国際通りへ出て、ロックスの近くから西浅草、カッパ橋通りを横切って松が谷の通りへ出れば近い | ||||
| 本 殿(案内板) |
浅草七福神は九つの社寺から成っています。このページの上から順番に行けば石浜神社までは探しやすいと思います。ここまでで浅草寺を出て約2KM位になります。石浜神社から吉原、鷲神社の国際通りまでは徒歩だと20〜30分はみてください。矢先神社は国際とおりを南へ、ビューホテルの先を右に入ります。全行程を一度に回るとなるとちょっと大変です。 | |||
| 三囲神社 | 弘福寺 | 長命寺 | 白鬚神社 | 向島百花園 | 多聞寺 |
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| 本 殿 |
参道脇に三越のマーク |
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| 本 堂 |
翁媼尊(じじばばそん) |
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| 本 堂 |
境 内 |
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| 本 殿 |
境内から銀杏の保存樹 |
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| 百花園入口 |
隅田川七福神は六社寺で構成され、多門寺以外の五社寺は比較的近くにまとまっています。このページの上から回れば向島百花園までの距離は1KM前後になります。多門寺は百花園から明治通りへ出て西へ、墨提通りと明治通りの交差点を右(北)へ、左側に並ぶ高層のマンションを見ながら水神橋へ通じる道を渡って右側へ入るのですが、道が狭く込み入っている一帯なので近くの人に聞きながら探すのが無難と思います。一見の価値のあるお寺です、ぜひ探してください。 | |||||
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| 山 門 |
本 堂 |
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