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"浅草観光と1400年の歴史があると伝えられる浅草寺のあれこれをご案内致します"

あなたは2001年11月10日の開設から
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  浅草寺の縁起 修理中の二天門の「二天像」公開
ボランティア観光ガイド もくじ 最新更新日2010/01/05
今月の浅草の行事は?

浅草寺に巨大な龍が出現しました。

2009年の初めから浅草寺本堂の屋根瓦を取り換える工事が行われています。 土を焼いた瓦からチタン製の瓦に取り換える工事です。
屋根はすっかり工事用のテントに覆われ本堂の外観は見ることが出来ません。工事は来年(2010年)11月まで予定されています。この12月初めから覆いの正面に大きな龍の絵が描かれています。突然の出現にビックリです。
上の写真:正面から 下の写真:南西方向から
浅草寺のホームページに以下の説明があります。

デザイナーの山本寛斎氏率いる「株式会社寛斎スーパースタジオ」に協力をお願いしたところ、本堂外陣の天井に描かれている川端龍子画伯の「龍の図」をモデルにしたこの巨大な金龍の絵が本堂の正面に掲げられることになりました。
この絵は高さが10,2m、横幅が32,7mもあるそうです。本堂外陣天井の「龍の図」は畳で19畳分と聞いていますが、今回の絵はやく200畳分もあることになります。
 
左の写真は昭和20年の空襲で焼失するまで「五重塔」はここにあったという場所を示すものです。
この五重塔は慶安元年(1648)三代将軍家光公によって再建されました。現在の五重塔とは参道を挟んで反対側にあったわけです。
現在の塔は昭和48年(1973)に再建されました。最上階にはスリランカ(当時:セイロン)の王立寺院から奉戴した「聖仏舎利」が納められています。
旧仁王門の礎石
右の写真は現在の「宝蔵門」の場所にあった「仁王門」の礎石です。
三代将軍の家光公が慶安2年(1649)に再建し、昭和20年(1945)の空襲で焼失するまで浅草の移り変わりを見てきました。
その後、昭和39年(1964)に宝蔵門として再建されるときに掘り出された礎石です。石は「本小松石」で大きさは幅が約1,4m、高さがやく1mとのことです。
も く じ
このホームページは下のような構成になっています。浅草寺の起源にまつわる伝承など全部を見ていただくにはかなりの時間がかかりますので目的に合わせてページ名をクリックしてください。 
今月の浅草の行事は?
江戸時代の街並「伝法院通り」 提灯の彫刻 
トピックス 主な建造物や史跡などを個別に取り上げて、詳しい説明を
1「大勝館」 2「二天門」 3「浅草寺本堂」
4「雷門」 5「浅草神社」 6「宝蔵門・五重塔・不動尊」
江戸川柳 18世紀の中頃から、江戸で流行った川柳のうち「浅草編」を紹介します
お寺の起源など 浅草寺(せんそうじ)に伝わるお寺の誕生のいきさつなど
浅草寺と三社様
雷 門 宝蔵門 五重の塔 浅草寺本堂 二天門
伝法院 時の鐘 浅草神社 被官稲荷
境内の旧跡 浅草寺の境内で保存されている旧跡
<本堂の西側> 影向堂 浅草六角堂淡島堂 六地蔵石燈籠
橋本薬師堂
石橋 西仏板碑
<宝蔵門の東側> 二尊仏久米平内堂
<本堂の北側> 九代目団十郎の像
<本堂への参道西> 迷子知らせ石標
<弁天山の入口> 松尾芭蕉の句碑
<浅草神社の境内> 粧太夫の碑
新奥山 境内「新奥山」に残されている石碑、銅像
1、 瓜生岩子の銅像  2、福地桜痴の碑 3、喜劇人の碑 4、映画弁士塚
5、石井漠記念碑 6、のんきな父さんと永生之壁 7、戸田茂睡の墓 8、半七塚と大きなガマ蛙
9、和算学者と狂歌の碑 10、正岡子規の碑 11、力自慢を競った力石 12、三匠の句碑
近辺の見どころ
鎮護堂 木馬館・木馬亭 スター広場 駒形堂・戒殺碑 姥が池
周辺地図
仲見世 新仲見世 六区
年中行事 浅草寺と浅草神社で行われている年中行事
歴史 浅草の変遷と関連の歴史
史跡説明板 東京都や台東区などによって、立てられた説明板の文章
隅田川 ご存知でしたか?隅田川は昭和の初めまで荒川の下流だったのです
七福神
浅草七福神と隅田川七福神 マップ
写真のページ 浅草寺や周辺での行事の写真
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