埴谷雄高に関するノート
闇のなかにいくらかほの明るい場所が見える。魔が小躍りする時刻私はいつもの墓地に行き死霊の声に耳を傾ける。地底の奥深くそれはまるでつぶやく1999匹の地虫のように不快な声を届かせてくるのだ。
さてその声はこう聴こえる。「愚劣」そう、たしかにそいつは愚劣とつぶやいているのだ。われわれの歴史は過誤の歴史である。埴谷は軽い政治嫌いであったが、その政治思想は久遠の未来に視線を置くことにより今でもわれわれの現在を激しく否認し続けている。なぜそのようなことが可能なのかを・・・
このノートは地下に生息する私のつぶやきを納めたものだ。ここには孤独な精神と不遜な心がある。時には赤裸々に何者かを暴くかもしれない。心配するには及ばない。行く先は決まっているのだから。だから進もうと思う。
『あっは』と『ぷふい』是だけ言えば事足りる筈だ。
埴谷はわれわれの風土における小説に新たな景色を付加する。観念はただに観念にしか過ぎない。そこに情念を吹きこむ作業は困難を極め数十年の歳月を費やす事業になったのだった。借り物でない思想などこの風土に生まれる気配などありはしない。それは他国から盗まれたものだった。埴谷はそれに我慢が出来なかった。この風土はまるで粘土のようなものだ。若き日の埴谷に影響を与えたのはポーでありドストエフスキーだった。世界文学が埴谷の眼前に聳え立っていた。「精神のリレー」というのは埴谷の自負を表した言葉として記憶したい。埴谷は精神のリレーに参加することを宣言していたのだ。ポーに、そしてドストエフスキーに教えられた文学の方法論を自前の言葉で白紙に刻むことをせねばならない、それこそが埴谷の課題だった。
亡霊が対話する。さてもお前達は存在するに値するのかと。「ニヒリズムの超克」なんてどうでもいいのさ、と暗闇に向かって呟く時刻、いつもの墓地はひんやりとして、世界は音もなく閉じる。戦争は絶えず、時空には血と肉のプリズムめく眩暈が連立する。
あなたがあなたであることはわたしには耐え難いことのように思える瞬間が確かにあったのだ。
われわれの現在は死に覆われている。それはふと足を止めて空を仰いだ瞬間に即座に感知されるだろう。青空の中には数百、数千億もの死が隠されている。「死霊」は死を真正面から捉えた小説に他ならない。文学における死は「暗示」すれば事足りる。埴谷雄高における死とは自身を切り詰め追い詰める果てに立ち表れる「憤怒」の如きものではなかったのか。同時に「死霊」は革命を思考した作品でもある。しかしその革命思想が世界に類を見ないのは、それが単なる政治的な革命などではなく、存在の革命を扱っているからだ。
最初の一歩がほら、すでに間違いではなかったのか。私はいつもの慣例にのっとり運河を渡る。古びた倉庫が立ち並び、かび臭い路地には野良猫が跋扈する。そのような風景を私は愛した。
『死霊』の四兄弟は三輪高志と三輪与志が悪徳政治家の三輪宏志の正妻の子で首猛夫と矢場徹吾は別々の女性との間にできた子供という構成になっている。
スウィンバーンがフランソワ・ヴィヨンを唄った詩である
Villon,our sad bad glad mad brother's name!
に埴谷が対応させたのは
sad 三輪与志
bad 三輪高志
glad 首猛夫
mad 矢場徹吾
だった。
死霊は観念的な小説だというのが一般的な評価だが、私はそうは読んで来なかった。語られる内容が観念的であることには異論はないが、その観念を如何に歩かせ、小説のなかでリアリティーのあるものにするかということに埴谷雄高は最大の力を注いだのだと感じ続けているからだ。だから私の死霊の受容は、まずそのストーリーの面白さ、登場人物のユニークさ、その語られる言葉や対話の緊張感にあったといえる。文体的には他の日本文学にはない独特の息の長いものであるし、たとえば霧の描写にしてもまるで無数の霧の粒が朦朧とした暗闇でぶつかりあうようなえも言われぬ効果を上げている。埴谷雄高がよく使う言葉に「意識」「宇宙」「革命」がありこれは吉本隆明との対談集のタイトルにも使われている。埴谷の命日は「アンドロメダ忌」であるが、生前宇宙的な思考を展開した埴谷らしいと思う。埴谷の眼差は何時でも暗黒の宇宙に向けられていたのだろうし、我々の生活とか政治とか国家とかいうものも宇宙的な視座から眺めていたのだろう。彼はギリシャ思想、特にアフォリズムの可能性や面白さにこだわっていた。だから死霊は論理的な思考を如何に花鳥風月、紙と木で出来た陽炎のような感性の日本人がするかという課題も含んでいたのだと思う。芭蕉ならば「・・・自同律の不快かな」で終わることが出来るところが、埴谷はそれを小説という容器に入れたのだ。「虚体」にしても「意識=存在」にしてもそれを論理的に説明することの可能性よりも小説のなかで動き回る登場人物の口から語らせることの意味は大きい。「不可能性の文学」という埴谷の目標は観念がまるで生きてもいるかのような世界、すなわち小説という「容器」に入れられたときにはじめて動きだすことになったのだった。
『不合理ゆえに吾信ず』には四つの大きな主題があって、その最初がこの「自同律の不快」ですね。つぎは、どこか他に異なった思惟形式がある筈だ、という考え方で、それから、存在と意識の対立、拮抗があって、最後に、存在への刑罰がやってくる。「自同律の不快」から出発すると、どうも存在の転覆志向へ結局いたることは避けられませんね。
《思索的渇望の世界》より
俺は、と言って俺だ!と言うことに不快を感じることの論理的意味を埴谷は何度も語ろうとしているが結局は漠然とした感覚というにとどめている。そこにはなにか言葉に出来ないような不快がある。それを表出したのが『死霊』ということになる。論理学でいうところのA=Aとは全ての論理的思考のはじめのはじめだといえるから、それに対して不快だということは論理的ではないということもいえそうだが、ことはそんなに単純ではない。A=Aは不快だ、ならばA=A=非Aでもいいのだ。これがたぶん「虚体」とつながる公式だろう。埴谷が文学と言う時、そこには不可能性という課題があるのであって、嘗てないもの、これからも決してありえないもの・・・・それこそを白紙に書くことが想定されていたのだ。朝起きては歯を磨いて、仕事をして帰宅して夕飯を食べて、寝ました。では困るのだ。他に異なった思惟形式を探す人物や存在自体に刑罰を与えることのみを画策している、いわば狂気にとりつかれた作中人物は我々とはなになのかを告発している。俺は俺ではない。A=Aなどであろう筈がないのは自明だ。俺という中には無数の俺が俺以外の他者の観念をかぶりながら生息しているではないか。俺などということは幻想なのであって、俺は男であり、サラリーマンであり、市民であり、日本という国家に生まれ・・・・通常はこのように思考されるのが俺であるだろう。埴谷の思弁は人間に対してなされていることを見て取り、だからこそ「自同律の不快」は人はさまざまな自己欺瞞を晒しながら、戦後を生き、さらに未来へもその欺瞞を引きずり生きるであろうことを批判しているのだろう。
エッセイに書いたので詳細は省くが、私と『死霊』との出会いは偶然であった。高校の時の一級下に抜群に鋭い美術評論を書く男がいて、彼がある日高校のアトリエで薦めてくれたのがはじまりなのであった。彼の家には何度か遊びに行ったことがある。自室の天井には模型の蝙蝠がぶら下がり、家の構造は一階の大広間の中央を巨大な柱が恐らくは二階の天井まで突き抜けているといったふうの、いわばモダンな作りなのだった。蝙蝠のぶら下がりはロマン主義的であるが(笑)その彼とは、木炭デッサンをやった後、高校の裏の芝生に寝転んで、エドガ・アラン・ポーを互いに読んだ記憶がある。『創元推理文庫』版だった。「アッシャー家の崩壊」「リジイア」「モレイア」「メイルシュトレームの渦」などがお気に入りだった。そのようにして私と彼は埴谷,ポー、あるいはサドを読んだのだった。私はその後美術の道には進まずに文学部に進学するのだが、彼の消息は謎である。いつかこの広いNETの世界で再び偶然出会うこともあるのではないだろうか?と考えている。なにせNETで埴谷に関してページをアップしているということ自体私にとっては冒険だし、同じ臭覚をもつ彼のことだから、ある日掲示板にPACOさん「ほ〜ら、みつけたぞ!」なんて書き込まないとも限らないわけである。当時埴谷の本は「河出書房新社」版の上製本と「未来社」から出ていたあの難しい漢字の間に「の」がはいる評論シリーズが主だった。
「河出書房新社」版は全て所蔵している。
1 死霊
2 短編小説集
3 政治論文集
4 文学論文集
5 外国文学論文集
6 随想集
別巻 埴谷雄高論
私は『死霊』に関してはあまり熱心な読者ではかった。その証拠に「河出書房新社」版で三章まで読み、「定本 死霊(講談社)」版で四章と五章を読み、さらに1981年4月特大号の「群像」で六章<愁いの王>を、そしてつい最近、偶然NETで知った『死霊』文庫化で、(講談社文芸文庫 全三巻)の三巻目の七、八、九章を読み終わったという具合なのだった。しかしこれは私にばかり罪があるのではなく、埴谷の筆の遅さに大半の罪があることも事実である。約半世紀を費やして書き継がれる小説の読者も大変なのだ(笑)それで九章を読み終わったときに「埴谷さんは、もうこの世にはいないのだなぁ」と心のなかでふと呟いてみたのだった。『死霊』の構想は全十五章だそうだから、九章の先は誰かが埴谷にのりうつってもらい、継続するしかもはや手はないことになった。埴谷は「精神のリレー」ばかりではなく、小説のリレーをも画策していたのだろうか?歴史に「もしも」はないのであるが、かりに生前埴谷がインター・ネットで公式ホーム・ページを持っていたらさぞかし面白かった(すみません不謹慎な表現で)だろうと思う。埴谷は亡くなっていて、アンドロメダ星雲の暗黒でそっと耳をそばだててるのだろうけれど、私がそのホーム・ページの掲示板になにか書き込むと、さて次の日の深夜埴谷から書き込みがあるのだ。それで私は驚いて「埴谷さんどうして書き込んだりできるんですか?」とRESするとかれは「PACOさん、あんたね、僕の死霊を読めていないな、ほ〜ら意識=存在ってあれほどしつこく書いていただろ」と私は叱られるのだった。「埴谷さんあれ本当だったのですか?」「僕は妄想に妄想を重ねて、ついに存在の秘密を掴んだのだから、あちらも、こちらも容易に移動できるのだよ、だからPACOさんがいいかげんなこと書いているのもちゃ〜んと見えるし読めるんだね」「・・・・」私は絶句した(笑)。
