買ったのは、文京区の音羽護国寺内の宗田悦郎氏である。大変な絵好ききであるけど、普通 の絵には見向きもしないという。カミさんのコレクションは他にも数々あって、「鬼と子沢山」という作品もその一つ。
雨の降る中を赤ン坊を背負い、女の子と手をつないでいる。もう一人、男の子がいて傘代わりにオフクロの裾にもぐり込んでゆくところ。鬼が鐘を叩き
ながら、じろりと親子を見るという図である。
「これ私のにしとくわ」と、これはあっさり横取りされた。五年ほど前の作品である。人によってはこの作品を「助兵衛なオニの野郎が羨ましそうにしている」と見る人もある。傘を持たない親子連れを微笑ましいと見る人もいる。
すべからく、絵は見る人によって感じ方がそれぞれあって良いと思う。カミさんは、私の絵を買いもしないで集めているが、その心境はいったい何であろう。(私が死んだらそれを高く売る)とか(自分の好きな絵を集める)という単なる思いつきからなのか、それがさっぱり解らない。
この何にも解らな女房であるが、だんだん目が肥えてきたのか、絵に対する批評が妙に当たることが多い。世間でいう美術評論家などと違って、理屈っぽいことはいわないし、理論的なものも持ち合わせがないのだが核心に触れることがしばしばだ。
絵描きとの長い暮らしの中で、自分なりの鑑賞目がついてきたのかも知れない。相変わらず脇でゴチャゴチャぬ かすカミさんを心良しと思うどころか、「うるせえ」とはねのけながら、本当のところ少し気にかかっているこの頃である。
変なはなしだが、女房は私の絵のコレクターである。私が絵を描いているのを階段の上からみていて、突然「あ、その絵は私の」と、さっさと絵を自分の部屋へ持ち込んでしまうくせがある。だから女房のコレクションは日の目を見ずしてオクラ入りとなることがすこぶる多い。
だいたい絵描きというものは、部屋の中でひっそりと一人で描く人が多い。私の知っている日展画家も、自分のアトリエは金輪際他人に見せないという。それでも知合いの経師屋とか画商が覗きにくるというので、最近家を増築し、アトリエを覗くためには幾多の難関をくぐらねば行けないようになっているとか。
あの巨匠ピカソも自分の画室には女房たりとも出入りすることを禁じ、食事もドアの外へ置かせたという逸話がある。それに比べてわが家はどうだ。ついつい、しゃれっ気で作ったワンフロアールームなものだから、炊事場も食堂もトイレも風呂場もすべてごっちゃ混ぜとなっている。
「あんたあ、その絵は出さない方がいいわよ。いつものアンタじゃないもん」などとぬ かしやがるから、頭にカーッときて、「ば、馬鹿やろう、てめえみていな田舎ものにゃ解ってたまるかい引っ込んでろい」とやっちゃうのだ。
そして後からつくづくその絵うをながめ、「やっぱあ駄目臭え」とビリビリと破ってしまうことになる。「いろは羅漢」は寝床で考えたアイデアである。いつも私は6時から7時頃ににかけて起きるのだが、ある朝ひらめいた。よし、オレは羅漢さんをいろはで描くだ、と叫んだ。
するとカミさんが、「それ、いったい何よ」と聞いてきた、これこれしかじかと簡単に説明すると、駄 目よあまりにもマンガっぽくて、描かない方がいいと思うわ」ときた。そこでいつものようにケンカが始まった。
「いや、オレは描く」「駄目よ」「絶対に描け、と夢の中でホトケさんが言ったんだ」結局描き上げたのが「いろは羅漢」で、これは鎌倉のお寺一本かわれてゆき、二本目は婦人生活の社の社長が買い、先代社長の原田常治さんの仏間にいまもかかり、毎日お線香のにおいをかいでいる。
ある日「鬼と三婆」を描いたところ、例のカミさんがノコノコと出てきて、「それ、私のよ」ときた。「なんでだよ?」「なんでもいいからわたしの」といって、さっさと2階へ持って行った。
この絵は女の浅はかさを現わし、カリカリと怒っている女、ジェラシーで悲しみに沈んだ女、ラッキーでバカ陽気にはねている女をすべて裸体で現わし、それを雲の上から鬼が眺めているという図である。
女房に横取りされて早や六年、私は絵柄にあれこれ悩んだ末に、「おい、お前に盗まれた鬼と三婆を出せや、あれを描き直してみるんだ」その結果 、やや上達した私の筆は、三人の女を一筆描きで描き雲の上からアキレ顔の鬼を描いた。
これは平成元年の三月開催の立川駅ビル9階、朝日ギャラリー展でいの一番に売れた。
女房のコレクション
墨に生きる