IT社会の到来とは
01/08/20
某国の元首相が「イット」と呼んで一躍有名になった「IT」であるが、彼が完全に間違いとは言い切れない。確かに「IT」は「イット」であり、子供が学校で「アイティ」などと読んだら、逆に先生に怒られるのだから。そもそも「IT」などと、誰がいつ言い出したのかわからないのだが、知らない間に違和感なく社会に定着している言葉となった。その内実は、携帯電話とインターネットの普及につきる。ソニーのトップである出井伸之氏は「ITは空気みたいなもの」と言っていたが、その通りで、携帯電話をITなどと常に意識して使っている人はいないだろう。もはや当たり前の存在として、ITは我々の生活に深く浸透している。
そもそも、ITを情報通信技術だと解釈すれば、ベルが発明した電話も、エジソンが発明した蓄音機も立派なITなのだから、IT社会などと言うものは、つい最近に急に我々の世界に立ち現れたものではないことになる。IT社会は、実はとっくに始まっていたのだ。ただ、デジタル技術の発展によって、劇的にユニバーサルになった事にインパクトがあると言えよう。
では、IT社会などという用語は、何の意味があるのだろうか。というよりも、誰がIT社会などと騒いでいるのだろうかと考えると、おかしなところに行き着いてしまう。若い人たちは、現代社会をIT社会などと捉えてはいない。便利な道具、楽しい道具、デジタル機器を巧みに使いこなしているに過ぎない。IT万歳と言って携帯電話を使う小学生など見たことなし、ITはこんなにすごいんだと喜んでいる大学生もいない。IT、ITと毎日繰り返しているのは、おじさんたちだけである。年齢で言えば50歳前後だろうか。そこではITはまるでありがたい念仏、題目、なんでもできる魔法の呪文のようである。評論家などにいたっては、ITですべての社会問題が何でも解決するかのように、IT社会の到来の重要性を力説する。中には、DVDの話題でも「通信費が高い」とトンチンカンな事を言うエコノミストがいる始末である。
結局、ITブームというのは、高度経済成長を忘れきれないおじさんたちの、新しいフロンティアに過ぎないのではないか。もちろん、ITの効率性、利便性を否定する理由は何もない。ただ、これを強調しすぎる余り、本末転倒に陥ってはいないだろうか。ITそのものが目的となってしまい、何のためのITなのかが忘れられている。ITでどんな問題をどのように解決していくか、逆に解決できないこともあるということも、きちんと認識しておかなければなるまい。例えば、環境問題はITで解決できる、改善できる部分があるだろうが、靖国参拝問題がITで解決できないのは明白である。他にもこのようなことは多数あろう。それを無視して、「錦の御旗」のごとくITを必要以上に強調する事には、この国の将来のためにも慎重になるべきではないだろうか。
