渡嘉敷島に移住したわけ
そもそもなんで渡嘉敷を選んだの?と、よく聞かれます。
たまたまです。としか答えられません。
中学、高校の頃から、将来は沖縄に住んでみたいと漠然と思っていました。
一番影響を受けたのは、灰谷健次郎という児童文学作家の「太陽の子」という作品で、
そこに出てくる沖縄の人間の心のやさしさに感動して、
自分もそういう心を持った人間になりたい、
そういう沖縄に住んでみたいと思ったからでした。
そして、高校、大学の頃、実際に何度か沖縄にくる機会があり、
あちこちみてまわるうちに、どうせ沖縄に住むならイメージとして、
より沖縄らしい離島に住みたい、と思ってしまったわけです。
しかし渡嘉敷についての予備知識はほとんどなく、
あちこちの離島に、「移住して農業をやりたい」旨の手紙を出し、
たまたま返事をくれたのが渡嘉敷島だったのです。
返事をくださった方によばれて、見学のつもりで那覇で待ち合わせをすると、
たまたま那覇でおこなわれた島の農業委員会の忘年会によばれ、
いつのまにか”これから島で農業をすることになった青年”として紹介され、
酒を飲まされているうちに選択の自由がなくなり、
あげくのはてに、「もう逃がさないぞ」、とおどされて、
渡嘉敷島に移住することが決まってしまったわけです。
翌日、渡嘉敷島にはじめてやってきて、
こんなに山だらけの小さな島だったとは、
とおどろいたのですが、もうあとの祭り。
まあなんとかなるだろう、と思ったのが
運の尽き。
今でも奥さんに馬鹿にされる最大の原因になっています。
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