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浄土真宗の心得
ここでは、「浄土真宗の心得」についてご案内します。
(次のテキストをクリックすると見たい情報へ移動します) 仏教用語には、少し難読な言葉の読み方もあります。そのような文字につきましては、「ふりがな」が表示されるようにしております。次の図のようにアンダラインのついた文字にカーソルを合わせますと「ふりがな」が表示されますのでご活用ください。
![]() [更新日:2004年11月13日]
多くの方は、「信仰」とか「宗教」という言葉を聞いただけで、そこに何か「いかがわしいもの」を感じてしまいます。
また、神仏の存在を「正月の初詣」や「結婚式」、「お盆」や「お葬式」の時ぐらいしか意識しない方が大勢見受けられます。
これが普通の日本人と宗教のかかわりではないでしょうか。
しかし、人間最終的に、いつかは、自分のしあわせ、夢、人生に挫折する日がきます。
その時、慌てて無念の思いで果てないために、若い時から命のはかなさを見つめ、生きることの真の素晴らしさを追及することが肝要です。そのためにも宗教は必要なのです。
仏教は、決して「ご利益」や、テレビなどで横行している「霊魂、たたり、のろい、死者供養」などを説く教えではありません。また、安らかに死ぬための教えでもありません。
仏教は、「本当の幸せへの道」を説く教えなのです。人生最後の一瞬まで、安らかに、健やかに、精一杯生きるための教えなのです。
生を受けたものは、必ず死んで逝きます。「生者必滅、会者定離」の掟は、避けて通れぬ自然の摂理であります。
今から七百数十年前、浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、私たちが阿弥陀如来さまのご本願によって救われる道を明らかにしてくださいました。
そして、親鸞聖人(浄土真宗の宗祖)は、「霊魂、たたり、のろいの思想」や「日を選び、占い、方角を気にしたりする迷信や俗信」を、仏陀(釈尊、お釈迦さま)の教えの通りに受け止められ、浄土真宗を興されたのです。
それは、「人間の欲望、弱さ、愚かさ、ものの道理のわからなさ、エゴイズムなどから導き出される迷いであること」を明らかにされ、霊魂思想や迷信、俗信からの解放を説かれたのです。
お医者さんでさえ「医師の仕事も大切であるが、本当に人間が救われるのは宗教であり、お念仏の教え(浄土真宗の教え)である」とも、おっしゃいます。
ご縁深い皆さま、お釈迦さまの教え(仏教)、親鸞聖人の教え(浄土真宗)に、尚一層のご理解をいただき、人生の生き甲斐をさらに深めてくださいますよう、切にお願い申し上げます。
お釈迦さまの広められた仏教というのは、全て生きている人々のために教えが説かれています。
これが、例えば「霊のお告げのようなもの」を契機として、お釈迦さまが仏教を興されたとすれば、仏教は存在しなかったと想像します。
浄土真宗と他の宗教の違うところは「信心」の中味です。他の宗教の信心は、「高額のお布施」、「一日一善」、「厳しい修行」、「信者獲得」など、それらを実行することが信心のバロメーターです。
ところが、浄土真宗の信心とは、「何かを実行する」というよりも、「教えに導かれて自分の真の姿を知ること」なのです。ここのところが「他の宗教と全く違うところ」なのです。
しかも、教えに知らされた自分とは「法律に触れるようなことはしていない。私は謙虚で善人だ」というのではありません。
「自分の都合の良いことばかりを優先して、損得のことしか考えていない。私は本当に救いようのない人間だ」この目覚めが浄土真宗の信心です。
言い換えれば、浄土真宗の信心とは、私の思いを阿弥陀如来さまに向けることではなく、阿弥陀如来さまのおおせに「まかせきれた」ということです。
我が身の暗い影が、教えという光に照らされて、はっきりと分かるのです。これほど深い目覚め(信心)はありません。
念珠とは、仏さまをお参りするときに使う法具で、丸い玉を丸くつなぎ合わせたものです。
他宗では「珠数」とも言いますが、浄土真宗では、念仏の数を数えたり、念仏を称えた回数の多少を問題としませんので「念珠」と言います。
念珠は、宗派によって形状が違いますので、浄土真宗本願寺派(西本願寺・お西)用をご使用ください。
念珠を持ち、門徒式章をかけることが、浄土真宗本願寺派(西本願寺・お西)の「門信徒における正式な服装」と定められています。
法座、法要、法事、通夜、葬儀などへお参りされる時には、勤行聖典(お経本)、念珠、門徒式章を必ず持って行きましょう。
合掌以外の時は、左手の親指と他の四本の指の間にかけて持ち、房は下方に垂らし、親指で軽くおさえて持ちます。
念珠の心得として、つねに大切に取り扱い、畳の上や床の上など、歩行の場所に直接置いたり、念珠を持ったまま、トイレなどに行かないようにしましょう。
念珠は、家族の一人ひとりが、必ず持ちましょう。そして、自分にふさわしいものにしましょう。服装や他の持ちもの比べて、あまり粗末でないものを選ぶことが大切です。
念珠は、お守りのたぐいではありませんので、利己的な願いのために着用しません。したがって、「念珠の玉の数」や「念珠の色」にもこだわりません。
子どもが人さし指に通して、クルクル回して遊ぶことがよくありますが、仏さまを拝むための大切な道具ですから、注意しましょう。また、念珠を手首に通して持つのも誤りです。
他宗では、片手だけに念珠をかけることがありますが、浄土真宗では両手にかけます。また、念珠の珠をすり合わせて、音をたてることはしません。 門徒式章とは、ご門徒の皆さまがつけるお袈裟です。
門徒式章をかけ、念珠を持つことが、浄土真宗本願寺派(西本願寺・お西)の「門信徒における正式な服装」と定められています。
得度をして僧侶になると仏弟子の証に、袈裟をつけます。僧侶が普段首から下げている袈裟を「畳輪袈裟」と言います。
また、法事などで肩から下げている袈裟を「五条袈裟」、葬儀などで体に巻きつけている袈裟を「七条袈裟」と言います。
得度をしていない人でも、浄土真宗の念仏のお同行であれば、袈裟に代わるものとして「門徒式章」を着用されます。
門徒式章は、僧侶が法要儀式を勤めるため仏さまの前に出るとき、法衣、袈裟で正装するのと同様、門信徒の皆さまが仏さまの前に出るときの正装に用います。
門徒式章は、「浄土真宗の門信徒である」という自覚とその現れです。
皆さんもぜひ、ご自分で購入されて、法要や仏前の儀式に門徒式章を襟にかけて参加されてはいかがでしょうか。
また、同信同行の会合にも、和洋服を問わず、門徒式章を襟にかけて参加されてはいかがでしょうか。
門徒式章を身に着けることによって「しっかり聴聞をしよう」という気持ちが生まれるのであれば、とても尊いことだと思います。
門徒式章は、勤行聖典(お経本)や念珠と同様に大切な法具ですから、つねに丁寧に取り扱い、畳の上や床の上など、歩行の場所に直接置いたり、門徒式章をかけたまま、トイレなどに行かないようにしましょう。 | |||||||||||
原本作成日: 2001年9月28日; 更新日: 2004年11月13日; (C) Copyright 2003 浄土真宗 本願寺派 (西本願寺・お西) 河久保道場 All rights reserved. 問い合わせは |