浄土真宗 本願寺派 河久保同行の部屋

浄土真宗 本願寺派 河久保同行の部屋
トップページ > 法名や院号とは
浄土真宗の法名と院号について
ここでは、「浄土真宗の法名と院号」についてご紹介します。
(次のテキストをクリックすると見たい情報へ移動します)
仏教用語には、少し難読な言葉の読み方もあります。そのような文字につきましては、「ふりがな」が表示されるようにしております。次の図のようにアンダラインのついた文字にカーソルを合わせますと「ふりがな」が表示されますのでご活用ください。
「ふりがな」の表示方法のイラスト

[更新日:2004年11月13日]
◇ 法名とは、仏弟子の名乗りです。
スーツを着た男性がご案内する格好をしたイラスト
法名とは、あくまでも「生前にいただく仏教徒としての名前」です。それは、どの仏教宗派であっても一緒のはずです。
浄土真宗では、帰敬式(おかみそり)を受式し、仏弟子となったとして、ご門主さまより「法名」が与えられます。
浄土真宗の門信徒の「法名」(戒名とは言いません)は、仏の願いが書かれた経典の中から2文字を選んで名付けられます。
帰敬式とは、「おかみそり」とも言い、「仏、法、僧」の三宝帰依し、念仏に生きる者としての誓いを立てる儀式です。
ご本山(京都西本願寺)にて受式する帰敬式(おかみそり)の冥加金は、成人1万円、未成年5干円となっております。
浄土真宗の法名は、宗祖の親鸞聖人が自らを「)親鸞」と名乗られておりますように、すべて「)○○」と、お釈迦さまの「)」の1字をいただいています。
したがって、浄土真宗の法名には、「居士、信士、大姉、信女」など戒名に用いられる「位号」が付けられることはありません。
法名は本来、ご本山(京都西本願寺)にてご門主さまよりお受けするのですから、一般寺院では「法名料」はいただいていません。
また、一般寺院では、帰敬式(おかみそり)の代理を務めているわけですから、「法名料」という「表現」や「呼称」も設けていません。
私たち浄土真宗の門信徒は、「体裁」や「字数」に囚われることのないよう、法名の意味を深く心得たいものです。
私たちの法名は、「これから仏の教えを聞いていきます」と言う「誓いの名前」なのですから。
帰敬式(おかみそり)とは、宗祖親鸞聖人が示された「阿弥陀如来さまのみ教えに帰依する」ことを誓う儀式です。
ご門主さまからおかみそりを受けているイラスト
したがって、生前中に受式するのが本当のあり方です。
帰敬式(おかみそり)は、原則として西本願寺の御堂御影堂)で、ご門主さまのお導きによってお髪剃りを受け、法名をいただきます。
生前から法名をいただくことは、「仏弟子として生きる決意を示す名前」と言えるでしょう。
色々な都合で、生前に法名をいただいていない人は、葬儀に先立ち、所属寺のご住職が、お手代わりとして帰敬式(おかみそり)を執行して法名を授けられます。
これは、「今から仏弟子の葬儀を行う」と言う「宣言」でもあるのです。
仏教諸派の中には、五戒などの戒律を守ることを入信の基本条件として、戒名を授けられます。
しかし、浄土真宗では、「常にみ教えを仰ぎ、念仏を中心としたたしなみの生活を送るように」と勧めています。
したがって、浄土真宗では、「戒名」と言わず、「法名」と言うのです。
法名の「)」とは、釈迦の略で、お釈迦さまの弟子、すなわち「釈尊の家系に入る」という意味で)の字を姓とするわけです。
従来、帰敬式(おかみそり)の法名に内願(特定の名前を希望すること)は、認められていませんでしたが、法名の内願を希望される方に対しては、帰敬式(おかみそり)の2ヶ月前までに、所属寺を通し、申請されれば、規定に基づき、法名の内願が認められるようです。
浄土真宗は、出家によって戒律を守る生活を強いる宗派ではありませんので、「戒名」ではなく、「法名」と言います。
戒名とは、自力聖道門の方々が出家の際に、今後守らなければならない戒律を師から授かったときに付けてもらう名前を言います。
私たちは、在家の生活を続けながら、阿弥陀如来さまの救いの教えを聞いてゆく宗派ですので、法(仏法の教え)の名前として、お釈迦さまの「)」の一字をいただき「法名」と言います。
法名は、生前に帰敬式(おかみそり)を受式し、ご門主さまよりいただくのが「法名の本来あるべき姿」です。
しかし、在命中に受式の機会の無かった人には、葬儀のときに所属寺のご住職により「おかみそり」が行われ、法名が与えられます。
法名をいただくことによって、「生前は仏教徒」、特に浄土真宗の門徒としての意識が深まり、亡くなってからは、ご家族が「故人を仏さま」と受け止めてゆく尊いご縁となります。
ご門主さまからいただいた法名のイラスト
字数についてですが、浄土真宗ではどなたでも「)○○」の二字法名です。
以前は、女性に「尼」という字が付けられておりましたが、現在は男性も、女性も、二字法名に統一されております。
他宗派では「居士や信士、大姉や信女」と言った位号を付ける宗派もありますが、浄土真宗では位号を一切付けません。
なぜならば、これらの「位号は差別に結びつくもの」だからです。
浄土真宗の教義から申せば、阿弥陀如来さまの前には「全てが平等」で有り、「字数が多いほど故人が成仏できる」とか「字数が少ないと故人が迷う」などと言うことは一切ありません。
まして、「宗教」と言う立場を利用し、「一文字いくら」などと言うような詐欺まがいのようなことをするはずがありません。
世間では、職業や地位などは様々であっても、仏法の世界では「与えられた命」や「教えを聞く権利」は「どこまでもみな平等」なのです。
他人よりも「良くありたい」と言う世界ではなく、他人と共に「真実の教えにうなずいていく世界」なのです。
むしろ、地域の習慣や他宗派の影響により歪められ、本来平等であるはずの法名を「字数が多い方が良い」と誤解する私たちの姿勢に問題があります。
逆に、私たち浄土真宗の門信徒は、「売買される文字に潜む差別性を見抜く目」を持ちたいものです。
ちなみに、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人も「)親鸞」です。
親鸞聖人が三文字なのに対し、親鸞聖人ほど仏教に尽くした訳でもない私たちの方が、文字数の多いことに疑問を感じませんか?
浄土真宗の儀式作法に則って、一連の葬送儀式を執り行う訳ですから、在命中に帰敬式(おかみそり)を受式するご縁の無かった門信徒の方には、臨終勤行(枕勤め)の前か、葬儀のときまでに所属寺のご住職にて「おかみそり」が行われ、法名が与えられるのです。
ですから、「おかみそり」も、「法名」も、本来は在命中にいただくべきもので、便宜上、「死後にいただいている」と言うことなのです。
最近、「死んだ者に法名は付けなくてはいけないのでしょうか?」と質問されることが珍しくありません。
しかし、有縁の方との死別は、この上ない仏縁になります。「命とは何か」と言うことを私たちに語りかけてくださいます。
そして、「死は必ずしも他人事ではなく、明日をも知れぬ命である」と言うことを理屈抜きに突き付けられるのです。
亡き人によって「本当の命とは?」と考えさせられるとき、その方は「仏さまの願いに気付かせてくださる方」、つまり「仏さまの弟子」と味わうことができます。
したがって、故人に法名をつけることは、私を導く「仏弟子の方」として「故人の恩恵報いる」なのです。
「悲しい存在」として心の奥にしまいこんだり、「功徳を差し向ける存在」としてあわれむのでなく、「自らの命と引き換えに、私たちを善知識に導く存在」と味わう中に法名の意味があるのです。
まず「法名」とは、仏教に帰依して、仏弟子となった方に授けられる「仏法の上での名前」であります。これをまた、「法号」とも、「法諱」とも、申します。
この法名は、僧侶にあっては「得度式」により、また、在家の方にあっては「帰敬式(おかみそり、おこうそり)」を受けることによって、ご本山からいただくのです。
小さい子供たちがご門主さまからおかみそりを受けているイラスト
もし、存命中に法名をいただかなかった門信徒の方が、亡くなられたときに限り、所属寺のご住職が法名をつけることになっています。
わが宗門(浄土真宗)では、すべて二字の法名で、その法名の上に「)」の字をつけるのを例とします。
)」というのは、「釋牟尼仏の名」を略したもので、「)〇〇」とするのは、仏弟子になったことを表します。
ちょうど、どのような川の水も、大海に流れこめば、同じ鹹味の海水になるように、仏弟子となった者はすべて、御同朋御同行として共にお念仏を喜び、お浄土に往生させていただく仲間となります。
次に「院号」は、法名の上につける尊称であります。これは平安時代に、その人の住んでいる院(寺院)の名をもって、そこに住む人を尊称する風習があったことから、後にはその居住する寺院の名に関係なく「〇〇院」の称号を用いるようになったものです。
現在、本願寺では、宗門の護特発展に功績のあった方に対して、院号が与えられることになっております。
院号法名をいただかれた方は、このような意義をよくわきまえて、今後いっそう聞法にいそしみ、宗門の護特発展に尽くし、明るい家庭、平和な社会の実現に心掛けることが大切であります。
院号とは、教団やお寺に「貢献のあった方に贈られる」ものです。
現在は、懇志(お金による布施、寄付など)をされた方に、お扱い(お礼の品)のひとつとして、希望者に院号が下付されております。
西本願寺では、20万円以上の懇志をされた方に対し、金額に応じてお礼の記念品を数種用意していますが、そのひとつが「院号」です。
つまり、浄土真宗の「法名」や「院号」は、お金で買うものではないのです。
法名の上に載せられるために、法名と院号は、「一体化」しているように思われていますが、このように法名と院号はまったく「別物」です。
私の個人的な考えでは、「貧富や家柄」と言った「差別に利用されるおそれ」がありますので、「浄土真宗はすべて二字法名に統一」した方が良いのではないかと思います。
院号の要否は、「趣味の範疇」です。私自身に「院号は不要」です。
( この引用テキストは 浄土真宗 本願寺派 来恩寺 さまより )

原本作成日: 2001年9月28日; 更新日: 2004年11月13日;
(C) Copyright 2003 浄土真宗 本願寺派 (西本願寺・お西) 河久保道場 All rights reserved.
問い合わせは メール jinei@joy.ocn.ne.jp まで
Valid HTML 4.01! 本ページの「HTML文法」の検証結果  Valid CSS! 本ページの「スタイルシート」の検証結果  本ページの「HTML文法」の採点結果