田舎を飛び出して都会の喧噪を枕にするようになってからすでに少なからぬ年月が過ぎ去りました。最近テレビや映画などで時々放送放映される地方の“山清水秀”【■■訳:風景が極めて美しいこと■■】や素朴な風情を見るたびに想い浮かべずにはいられないのが幼い頃に育った美しい故郷の山河と,どういうわけか古代中国の詩である陶淵明(365〜427年)の《桃花源記并詩》です。この陶淵明が空想した理想郷を日本では“桃源郷”と呼んでおりますが,この桃源郷に似た話を私は幼い時に田舎の祖父から何度となく聞かされていました。
“あのなぁ〜,むかぁ〜し昔あの高い山と山の間にはなぁ“かくれ里”と言うのがあったそうだがなぁ〜,もう何百年も前のことだがなぁ〜,ある日ある男が茸を採りにあの前の妙見山に入っていっただょ〜。どうゆうわけか,この日は茸がたくさん採れて知らず知らずのうちに今まで来たこともない山奥にまで踏み込んでしまってなぁ〜,これはいかんと思ってすぐに引き返そうとしたんだがなぁ〜,しかしすぐ目の前の山の急斜面の一画だけがなぁ〜どうゆうわけか淡い紅色の綺麗な花でビッシリと埋まっているのが見えただょ〜。男は不思議なことがあるもんだなぁ〜と思って帰るのも忘れて知らず知らずのうちにそのそばまで来てしまったがなぁ〜,そうしてそれがこの地方では極めて珍しい桃の花であることがわかっただょ〜。そこで更に詳しく回りを見てみるとこの桃林のほぼ真ん中あたりにひときわ大きな桃の木があってその根本には大きな岩があったがねぇ〜,そしてその岩には人一人がやっと通れるか通れないかぐらいの小さな洞があいていたんだとぉ〜,そうこうしているうちに男はその小さな洞の中に吸い込まれるようにして入っていっただょ〜・・・・・・”。
勿論,この話を聞いていた時には,この“茸のかくれ里”伝説が《桃花源記并詩》の序文にこんなにも酷似している話だとは全く知らなかったことは言うまでもありません。古代中国文学の旅の《第一回》はこの思い出深い“かくれ里”伝説と密接な関係があると思われる陶淵明の《桃花源記并詩》について少し述べてみたいと思います。
まずはこの陶淵明の《桃花源記并詩》の原文を見てみましょう。
《桃花源記并詩》陶淵明
晋太元中,武陵人捕魚為業,縁溪行,忘路之遠近。忽逢桃花林,夾岸数百歩,中無雑樹,芳草鮮美,落英繽紛。漁人甚異之。復前行,欲窮其林。林尽水源,便得一山。山有小口,□彿若有光,便舎船从口入。初極狭,才通大,復行数十歩,豁然開朗。土地平曠,屋舎儼然,有良田,美池,桑竹之属。阡陌交通,鶏犬相聞。其中往来種作,男女衣著,悉如外人。黄髪垂髫,并怡然自樂。見漁人,乃大驚,問所从来,具答之。便要還家,設酒殺鶏作食。村中聞有此人,咸来問訊。自云先世避秦時乱,率妻子邑人来此絶境,不復出焉,遂与外人間隔。問今是何世,乃不知有漢,無論魏晋。此人一一為具言所聞,皆嘆□。餘人各復延至其家,皆出酒食。停数日,辞去。此中人語云不足為外人道也。既出,得其船,便扶向路,処処志之。及郡下,詣太守,説如此。太守即遣人随其往,尋向所志,遂迷,不復得路。南陽劉子驥,高尚士也。聞之,欣然規往,未果,尋病終。後遂無問津者。
□氏乱天紀,賢者避其世。黄綺之商山,伊人亦云逝。
往跡浸復湮,来径遂蕪廃。相命肆農耕,日入从所憩。
桑竹垂餘蔭,菽稷随時芸。春蚕収長絲,秋熟靡王税。
荒路暖交通,鶏犬互鳴吠。俎豆犹古法,衣裳無新制。
童孺縦行歌,斑白歓游詣。草榮識節和,木衰知風氏B
雖無紀歴志,四時自成歳。怡然有餘樂,於何労智慧。
奇踪隠五百,一朝敞神界。淳薄既異源,旋復還幽蔽。
借問游方士,焉測塵囂外。愿言躡軽風,高挙尋吾契。
【訳文】
晋王朝の太元年間(376〜396年),川魚を捕らえてこれを生業としている一人の武陵(現在の湖南省常徳付近)の漁師がいた。ある日のこと彼は小舟に乗って渓谷沿いに魚を追って,どれほど来たのかを忘れる位にまで渓谷の奥深くにまで分け入ってしまった。すると突然,両岸をビッシリと桃の花で埋め尽くした一面の樹林が目の前に現れた。その両岸は驚いたことに数百歩の長きにわたって桃の木ばかりが生えていておりほかの種類の樹木がない。桃の木の下には芳香豊かな草花がその華麗な美しさを競って咲いている。また満開の花びらが散り落ちる様はまるで風の中をたくさんの蝶がひらひらと舞っているように美しかった。
漁師はその異常な美しさと光景に驚き,さらに奥へと行って見たいという気持ちをどうしても抑えることができなかった。漁師は一気に桃の樹林が尽きるところまで遡って行ってみると川の流れもまたそこで尽き,目の前にはこんもりとした小さな山が見えてきた。そしてその山の麓には小さな洞穴(ほらあな)があって,その奥の方からはかすかなではあるけれども光が見える。そこで漁師は思いきって船を下りてその洞穴の中へと入っていった。洞穴の入り口はたいへん狭くて人一人がやっと通れるぐらいであった。しかしその後は徐々に広くなって,数十歩ほど行ったところで急に目の前がパッと開けて明るくなった。そしてそこには広々とした平らな土地が広がっていて家屋が整然と並び,肥沃そうな田畑と美しい池が遠くまで続き,桑や竹などの益樹が緑豊かに茂っている。水田のあぜ道が縦横に走り,村と村の間は鶏や犬の鳴き声が間近に聞こえるぐらいに近い(注:これは“隣国相望,鶏犬之声相聞,民至老死不相往来”【■■訳:隣国同士が互いに眺め見ることができ,また鶏や犬の鳴き声を聞くことができるほど近い。しかし人民は老いて死んでも互いに往き来することはない■■】の《老子・第八十章》の一節から引用したもので,互いの国と国の間で鶏や犬の鳴き声が聞こえるほど近い国でありながら互いの行き来が全くない。そのかわりこのような国家や社会は争いや搾取が全くない極めて理想的で平和な社会を形成することができるとしている。即ち《老子》の中に描かれている“小国寡民”の理想社会)。田畑を行き来して耕作に精を出している男女が着ている衣服は恰も別世界(漁師とは別の社会)の人のもののようである。しかしこの村の老若男女は皆が皆非常に楽しそうにしている。暫くして村人の中の一人がこの見知らぬ漁師に気がついてたいへん驚き,“どこからやって来たのか・・・・・等々”を尋ねた。漁師はこれらの質問に対して一つ一つ丁寧に答えた。そこで村人はすぐにこの漁師を招いて家につれて帰り,鶏を殺しお酒を振る舞って漁師を大いに歓待した。ほかの村人たちも皆この奇異な客が村に来たことを聞きつけて集まり,彼らもまた漁師に対して外世界(漁師の暮らしている社会)の様々なことを逐一詳しく尋ねた。また村人たちは自分たちのことについても次のように語った“自分たちの祖先は秦の時代(紀元前221〜前207年)の乱世から逃避するため,妻子や同じ村の人々とともにこの隔絶された土地にやって来ました。そうしてその後,誰もこの村から外へは一度も出たことがなく,そのため外世界の人々とは全く行き来がありません”。漁師は村人たちに“今は何王朝の時代か知っていますかと尋ねた”・・・・この村の人たちは秦王朝が滅び漢王朝が興亡したことを全く知らない,従って三国魏晋の時代などは全く以て知る由もないことは言うまでもない。漁師は自分が暮らしている世界(社会)のことを知っている限り一つ一つ村人たちに語って聞かせた。村人たちは漁師の語る話を聞いて皆たいへん驚くと同時に大きな溜息をついた。その後,ほかの村人たちも皆順次漁師を自分の家に招いて酒食を饗しおおいにもてなした。留まること数日,漁師は村人たちに別れを告げてこの村をあとにした。別れ際に村人たちは漁師に“こ村でのことは外界の人たちに話すには値しない”と言った。
漁師は山の洞穴を出るとすぐに自分の小船を見つけだした。そして帰る途中には,来た時の道に沿って所々に目印を残してきた。武陵の郡邑に入ると漁師はすぐに太守に拝謁して事の一部始終を報告した。太守はすぐに人を派遣して漁師のあとにつき従って,先ほどの目印をたよりに進んでいった。しかし結果はあろうことか彼らの意に反して道に迷ってしまい,二度と洞穴(桃花源)への道を見つけることはできなかった。
南陽(現在の河南省ケ県)の人,劉子驥は一人の清廉な隠士(世俗に染まらない隠遁者)で,彼はこの話を伝え聞いてたいへん喜んだ。そして自らもこの桃花源へ行くことを計画して出発したが,結局は見つけることができず,間もなく病に倒れてこの世を去った。この後,二度とこの桃花源を探しに行こうとする者は現れなかった。
・秦王朝は天下の綱紀を乱したため,天下の賢者は皆次々とこの乱世から逃避し隠遁し
てしまった。
・夏黄公,綺里季(いずれも漢時代初期の高潔な隠士)などの高潔な士も戦乱を避けて
商山(現在の陜西省商県の山名)に逃げ,そしてこの時桃花源にいたあの村人たちも
同様にしてこの乱世から逃避してその行方は無踪無跡(跡形もないこと)となった。
・そうしてこれらのことが遠い昔のこととして,次第にこの世から忘れ去られ,桃花源の村
人たちが辿っていった道も次第に荒廃して跡形も残っていない。
・桃花源の村人たちは極めて自然のこととして農耕に勤しみ,日が落ちればその手を止
めて家に帰り休息する。
・桑や竹などの益樹が青々と繁茂し,その枝が互いに押し広がって木陰を成している。村
人たちは豆や穀物などを季節に合わせて植えて育てている。
・春蚕(はるご)は繭を結んで長い絹糸を生み,秋にこれを収穫しても税として差し出す必
要もない。
・荒廃して無影無踪になった道はこの村を外界との往き来から遮断して,その中は《老子
》が言うところの“領国相望,鶏犬之声相聞,民至老死不相往来”の“小国寡民”の平和
な理想社会を形成している。
・祭祀(俎豆は古代の祭祀に用いる供物を盛るための器皿で,ここでは祭祀そのものを
指す)は依然として古法に基づき,村人たちの衣服も昔のままで何一つとして新しい様
式がない。
・子供たちは歩きながら楽しげに歌唱し,老人たちもまた楽しそうに遊んだりくつろいだり
している。
・草木の繁茂を見て春の暖かい季節が来たことを知り,草木の枯れ落ちるのを見て冬の
寒冷な季節が来たことを知る。
・ここには季節や月日を記した暦はないけれども,春夏秋冬の四季はいつものように変
わりなく巡ってくる。
・心のやすらぎと楽しさが満ちあふれているこの村では憂慮することが何もない,まして
や何をあくせくと世俗の智慧に心を砕く必要があろうか。
・この奇妙な過去をもった村は外界に知られることなく五百年余りの時を過ごしたけれど
も,ほんの一瞬だけこの理想社会の桃花源が外界の人に開け放たれてしまった。
・淳(桃花源のような理想社会)と薄(俗悪浮薄の現実社会)はその根本概念を完全に異
にする以上,この淳な理想社会,桃花源は再びもとの遊離した世界へともどらなければ
ならない。
・全国各地を遊歴している方士(神仙,巫術に専門的に従事する士)にお尋ねします“どう
してあなた方には世俗之外の事がわかるのでのでしょうか?(内心はそんなことができ
るはずがないと思っている)”。
・私も是非身軽になって爽やかな風に乗り,空高く飛翔して私の真の知己を探しに行って
みたいよ。
陶淵明は桃花源の理想社会を“豁然開朗”【■■訳:心が突然パッと開け,疑問などがあっという間に解ける■■】の思いもよらない巧妙な情節(ストーリー)と衝撃的な手法で見事に描写していると思います。それは人々の心に極めて新鮮で強烈な感動を与え,また清々しい余韻を残さずにはおきません。この《桃花源記并詩》が数多くの人々の心を捉え,そしてこんなにも感動させる源は一体どこにあるのでしょうか。むずかしい文学批評は専門家に任せることにして,私なりに感じたことを素直に述べてみたいと思います。
現在,私たちによく知られている桃源郷の話は《桃花源記并詩》の前半の部分で,後半の詩の序文として書かれ,陶淵明が晩年の五十八才の時の作だと言われています。《桃花源記并詩》の詩の部分は残念ながらよく知られてはいませんが,その序文は“人口膾炙”知らない人が誰もいないほど有名です。農業と養蚕を基礎にして平和で悠々と自適な生活をする人々の理想社会を奇想天外なストーリーと軽妙な筆致で描いていて何とも言えない清々しい深い味わいがあります。《桃花源記并詩》がこんなにも人々の心を捉えてはなさないのには幾つかの理由があるとは思いますが,中でも私は特にその奇抜な構想とその簡潔で流れるような文章技巧の中に言葉では言い尽くせない魅力を感じないわけにはいきません。
陶淵明の生きた時代は君臣貴賤の階級意識の厳しい封建社会の中でいつ果てるともなく続く“□争我奪,烽火連年,腐敗汚濁”【■■訳:生か死かの激しい闘争,戦火が絶えない,政事の腐敗■■】の混乱した現実社会にどっぷりと浸かって,人々はこれをひどく憎み嫌悪しながらも,この局面から抜け出す活路をまったく見いだすことができずに悶々鬱々としていた時代です。そしてこのような“動蕩不息”【■■訳:情況や局面が混乱して何時までも安定しない■■】の重苦しい時代の中,一服の清涼剤とも言うべき心の安らぎを与えたのが陶淵明の《桃花源記并詩》だったと思います。
大自然の脅威だけが人々の身に重くのしかかっていた遠い原始の時代には,人々はこの大自然の計り知れない猛威や恩恵に対してこれを恐れ敬い,そしてただただこの猛威をふるわないように祈るだけでした。しかし人々はこのような大自然の強大な力を敬慕こそすれ,これに対して怨みや憎しみを抱いたりすることはありませんでした。また自分自身を大自然に同化させて自分をより強くして大自然に打ち勝とうとはしても,この大自然から逃避しようとは些かも考えませんでした。なぜならば,大自然はただ猛威をふるうばかりでなく,大きな恩恵も人々に与えたからです。そしてその猛威や恩恵は如何なる人々に対しても完全に平等でした。しかし原始の平和な母系氏族社会の後に到来した奴隷制社会と封建社会,そしてこれに関わる熾烈な権力闘争は大自然の脅威よりも更に凶悪で残酷な形で人々の身の上に襲いかかってきました。この人為的な脅威は時と場所を選ばないばかりか,子々孫々にまでその生殺与奪の脅威を及ぼし続ける極めて理不尽なものでありました。こうした“痛苦如火”【■■訳:火に焼かれているような痛みや苦しみ■■】の中で人々は初めてこの現実世界からの逃避や某種の理想社会へとその心を空想の中に馳せるようになりました。このような空想の理想社会は陶淵明の《桃花源記并詩》よりも遙かな昔から少なからぬ人々の手で提出されています。例えば,《詩経・碩鼠》に言う“逝將去汝,適彼樂土,樂土,樂土,爰得我所・・・”【■■訳:私はあなたのもとから離れる誓いをたてた。あの安楽の国へ行って移り住むのだ,あの安楽の国へ,あの安楽の国へ・・・■■】,《老子・八十章》に言う“小国寡民,使有什伯之器而不用・・・雖有甲兵無所陳之・・・甘其食,美其服,安其居,樂其俗。隣国相望,鶏犬之声相聞,民至老死不相往来”【■■訳:国土が狭く人口も少ない。・・・各種の品物財物は豊かにあるけれども使用する必要がない。・・・各種の武器も揃っているけれども使用する機会がない。・・・人々には豊かな食物と衣服があり,また安んじることのできる情居があり,情感豊かで楽しい習俗がある。隣国同士が互いに眺め見ることができ,また鶏や犬の鳴き声を聞くことができるほど近い。しかし人民は老いて死んでも互いに往き来することはない■■】”,《礼記・礼運》に言う“大道之行也,天下為公,選賢与能,講信修睦。故人不独親其親,不独子其子。使老有所終,壮有所用,幼有所養,矜(鰥)寡孤独廃疾者皆有所養,男有分,女有婦。貨悪其棄於地也,不必藏於己,力悪其不出於身也,不必為己。是故謀閉而不興,盗窃乱賊而不作,故外戸而不閉,是大同也”【■■訳:“大道”(正道,常理。倫理綱常を含む治世の最高の自然原則)が正しく実践された時,天下は天下の人々が共有するものとなる。賢能賢徳の士が選ばれ,人々は誠心誠意を尊び仲睦ましい。そのため人々は自分の親戚だけを愛するようなことをせず,また自分の子女だけを子女と見るようなことはしない(即ち他人も他人の子女も皆自分の親族や自分の子女のように慈愛すること)。老人は陽気で幸せな晩年を享受し,壮年人はその能力を充分に発揮する場があり,幼少の子供たちは皆幸せの内に扶養されることを保証されている。連れあいを亡くした老男女,身体に障害を持った者,これらの者も皆孝養される生活を過ごすことができる。親のない子供,子供のいない老人もまた同様に幸せな扶養,孝養の生活を保証されている。成年男子にはしかるべき職があり,成年女子には皆自分の家庭がある。嫌悪すべき財物を地に放棄して,誰もこれを私物化する者がいない(即ち必要がない)。知恵や力を惜しんでださない人を嫌悪するけれども,この知恵や力を自分のために無理やりださせるようなことはしない。そのため如何なる画策も如何なる詭計も必要がなくなり,従ってこれらが興起する余地もなく,盗賊乱臣などの類は発生のしようがない。その結果,家の門戸を閉める必要が全くない。このような社会を“大同”と言う。(大同:古代中国の理想社会の一つで,封建社会の宗法や士農工商などの階級制や貴賤貧富がなく,また私有財産制などもない。即ち完全に平等な社会で争いがなく,しかも大自然と協調した平和な社会を言う。それは実質的には階級や差別,争いのない原始社会を極端に理想化した社会だとも言うことができる)■■】,そしてもう一つ佛教で言うところの西方極楽浄土や天国などがあります。しかし彼らが言うところの理想社会は荒唐無稽か,実現性のない全く夢物語のようなものばかりでした。このような中で陶淵明《桃花源記并詩》は,“非仙非佛非夢”【■■訳:仙境でもなく,極楽浄土でもなく,夢でもない■■】の現実に存在する植物や地名,人名を挙げて,その理想とする社会がその文章の中から容易に想像することができるばかりでなく,“似有非有而非無”【■■訳:有るような無いような,しかし無くはない■■】の現実的にはこのような理想社会の桃花源はないかもしれないけれども,心の中では誰しもがひっょとしたら本当にあるかもしれないと思わせるものがあり,またそうあってほしいと思わせるものがあるのではないでしょうか。即ちこれを完全に否定することは何か自分の大事なものをすべての失って,何もかもが否定されてしまうような気がすることの恐ろしさあり,またこの《桃花源記并詩》の情節(ストーリー)の中にはこの理想郷(理想社会)の桃花源の否定を拒まざるを得ないような不可思議な魅力と力があるような気がしてなりません。それは《桃花源記并詩》の中に描写されている情景があまりにも自然であり,また村人の一人一人が極めて素朴で人間味にあふれ,これこそが“人”の自然本来のあるべき姿ではないかと感じざるを得ないところに起因しているのかもしれません。さらには《桃花源記并詩》の中には如何なる人に対しても誹謗や中傷,妬み怨み,あるいは某種の利害関係の存在が全く感じられず,完全に独立した“無憂無慮”【■■訳:如何なる憂慮もない■■】の世界を形成していることも人々の心の琴線を気持ちよく共鳴させるのではないでしょうか。何れにしてもこのような理想社会や楽園に通じる道を人知れず隠し持ってみたいと思うことは,誰しもが一度は想い描いたことがあったのではないでしょうか。
桃花源のような楽園伝説は中国だけでなく,世界の各地にもたくさんあります。例えばイギリスの《ユートピア》,ギリシャの《イスベリデスの園》,ローマの《エリュオン》,イスラエルの《エデンの園》,北ヨーロッパの《アスガルド》,さらには様々な宗教で言うところの《天国》,《極楽浄土》,日本の《隠れ里》などです。また楽園伝説とは少し異なりますが中国にはこれに似たものとして不老不死,長生不老の仙人の国“蓬莱山伝説”があります。これらについては今後,機会があれば少しづつ述べてみたいと思います。
|