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| 能登の銀座通りと云われた一本杉通りも昭和42年バイパスができ、バス路線が変わると、人の流れが代わりこれまでの賑わいが嘘のように衰退してしまいました。やがて大型店の時代に入り、七尾市街地にもジャスコ、ユニーと進出して、駅前の通りが賑わうことになりました。 更には、郊外店の時代になり、ジャスコも撤退、まちなかの商店街も衰退することになりました。これは、七尾市だけでなく全国的な傾向で、大型店はさらに大きく郊外店を造って、大型店同士の戦いが続いています。 地方の商店街の疲弊のもう一つの要因に、人口減少があります。ここ七尾市でも、平成16年1市3町で合併しました、その時点での人口が63,761人、5年経って平成21年10月で59,715人と4,000人も減っています。若者も都会に出て行きます。それを止めることも出来ません。 この現実を踏まえて、目標は交流人口を増やすこだと認識して、まちづくりに取組んでいます。しかし、観光地づくりではなく、楽しいまちづくりです。生活文化が文化財だと気付いたのです。これが「茶の間の観光」です。 <一本杉町の選んだ道> 1)商店街ではなく、町会が動く 2)あるものを活かしたまちづくり *登録有形文化財 *花嫁のれん 3)地域の力 *ごみぜろ宣言 *ごみの計量・記録 4)見る観光から ふれあい観光へ *ふれあい観光「語り部処」 5)観光地づくりではなく 楽しいまちづくり 6)生活文化が文化財だ! *「茶の間の観光」 1)商店街ではなく、町会が動く 昭和40年代、大型店の進出するまでは、商店街は賑わい、売出しをしても十分売上を上げることができ、次のイベントに向けて、力を蓄えることができました。しかし時代が大きく変わり大型店の時代になり、商店街では賑わい創出にいろいろイベントをやっても、大型店には及ばず経費がかかるのみで効果がなく商店街の力が衰えてしまいました。 商店街の組織は、退会あるいは組織の解散ができます。しかし、町会は、解散することはありませんが、町会法はありません。任意団体です。国、県、市の手伝いのできる大きな組織ですが、国、県、市からは、恩典の少ない組織です。でも、それだけに地域の住民の力がまとまると大きな効力を発揮します。 一本杉通りでもやがて40年間時代の流れには勝てづ、いろいろやってきた活動、イベントも効果がありませんでしたが平成15年12月3日作家森まゆみさんとの出会いで大きく変わることになりました。それは登録有形文化財の制度のお話を聞き、一本杉通り450mに5軒の登録有形文化財を申請したことに始まります。 平成16年3月31日4軒の申請書類を七尾市役所に提出しました。1軒はどうしても書類の都合で1年遅れることになりました。これを町会で取りまとめたことで、町会がまちづくりに携わることになりました。 2)あるものを活かしたまちづくり 幸なことに、福井工業大学の市川秀和先生が、5年掛けて七尾の町家を調査してこられたことでした。平成15年の市役所から出る広報の表紙に月々七尾の町家が掲載されていました。ほぼ調査が終盤に近づいていたのだと思います。 早速、先生の協力を得て、450mの一本杉通りに、まちづくりのために5軒の登録有形文化財の申請書類を作成して戴くことになりました。3ヵ月ほどで4軒の書類を七尾市に提出し、1軒は書類の関係で1年遅れることになりました。 これらの手続きはすべて町会で担当することになりました。そんな関係もあって、町会の5人の女将さんのグループが町会長に、「花嫁のれん展」の提案があり、町会のみなさんと商店街のみなさんに呼びかけて第一回花嫁のれん展、平成16年4月29日から母の日、5月8日まで開催することになりました。 能登・七尾一本杉通り公式サイト 消えがてのうた part2 財団法人あしたの日本を創る協会 |