2003.1.1 午前1時頃の百舌鳥八幡宮初詣の人々
なぜか自主的に石段下の参道まで整然と並ぶ行儀のよさ

(その10)   

 はぜ村をふくめ、百舌鳥八幡宮の氏子の家々には、奈良時代から続く百舌鳥精進の風習があります。
 百舌鳥精進とは、正月三が日は、肉や魚介類を避け、身を清め心を真にして精進潔斎するという風習です。

この正月精進は、欽明天皇の御代の八幡大神神詣によるという説もありますが、昔この辺りに疫病が流行して困った人々が、行基菩薩の精進潔斎の教えを忠実に守ったところ疫病が治まったので、それから今日まで途切れることなく続いていると古老に聞いたことがあります。 

 昔は厳重に守られていましたが、最近は、元日だけ精進をする家もあり、まったくしない家も増えてきているようです。それで、私の子供の頃(昭和30年代)の「はぜ村」でのお正月の迎え方や風習を書いてみたいと思います。

 まず、師走の十日頃、味噌の仕込みをします。
我が家の畑でとれた大豆を煮て、石臼と杵でつぶし、糀(こうじ)と混ぜる。堺の方違神社の近くにあった「こうじ半」という店まで糀を買いに行くのが毎年の私の役目でした。一晩ねかせ、壺に入れ塩をまぶして蓋をしておくと暮れには味噌が出来る。自家製の白味噌で雑煮を炊くのがならわしでした。

  二十日頃には、どの家でも煤払い(大掃除)をしました。屋内のかまどで煮炊きしていたから、天井も柱も壁も煤(すす)で真っ黒。ていねいに拭いてから、神棚や仏壇なども念入りにきれいにしました。

 28日か29日頃には正月用の餅つきをしました。
夕方から、親戚がいっしょになって、石臼と杵(きね)で、大勢で威勢よく賑やかに餅つきをしました。

鏡餅、雑煮用の小どり、ヨモギ餅、砂糖餅(さとうきびから作った黒砂糖を入れる)、あられやダンゴ…。赤い色粉を入れた色餅は、小さくちぎって柳の枝につけて飾りにしました。夜更けまでかかってたくさん餅をつきました。
庭先のチンカラの薪の炎、せいろから上がる湯気、ペッタンペッタン弾む杵の音、そして、いとこ達や親戚の人達の笑い声…。餅つきは本当に楽しい行事でした。

 大晦日の年越しソバは、今はニシンが入っているのが一般的だけれど、当時はたしか薄い昆布が入っていたように思います。

 元日の朝は、その家の男の人が一番先に起きて、かまどでパチパチ音を立てながら大豆の枝葉を燃やして雑煮を炊きました(温めました)。
家族みんな揃って、神棚や仏壇に雑煮を供え、灯明をあげて拝礼をします。その後、屠蘇を祝い、お年玉をもらったり百舌鳥八幡宮へ初詣に行きました。
また、元日は、「流れる」といって椀も箸も洗わない習慣がありました。昔は一人ずつの膳であったので他の人のを使う心配はありませんでした。男が雑煮を炊くのも食器を洗わないのも、ふだん働きづめの主婦を休ませてあげようという意味があったのかもわかりません…。

 おせち料理の中身は、たたき牛蒡、くわい、にんじん、こいも、高野豆腐、大豆、黒豆、しいたけ、たけのこ、れんこん、コンニャク等、精進料理にふさわしい面々でした。

 1月3日の晩は、すきやきなどで精進上げをする家が多かったようです。やっと精進料理から解放されて、子ども心にもホッとして本当に嬉しかったのを覚えています…。
 
                        
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