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まだ若干工事中ですが、どうぞお楽しみ下さい。文責・牙城

第 二 回 朗 読 火 山 俳 の 様 子

昨年に引き続き、第二回朗読火山俳を2003年3月8日に実施しました。有料入場者数60名に及ぶ方々が、俳句朗読という未開の海の広大な海原の中にさまざまな航道のあることをを目の当たりにしました。

もちろん、僕たちは「俳句朗読」という分野の最大の功労者であり実践者である天狗仮面=宮ア二健氏の存在を忘れてはなりません。今回も二健氏は「俳の精神」の身を賭した体現者たるべく、佐久の地を訪れてくれました。天狗は勿論健在でした。二健氏は、立っているだけで「俳」でした。天狗面を被らぬ懇親会・翌日吟行句会でも俳の人であり続けました。「不断の俳」を感じさせてくれました。このことは本当はすごいことなのです。「不断の俳」を持ち合わせている俳人を僕は多くを知りません。

「音声多重朗読歌人」として今や確乎たる地位にありながら、詩人・柴田千晶さんとのコラボレーションなど常に「今」あることの確認を朗読によって実践し続けておられる藤原龍一郎氏が来てくれました。藤原氏は現代の都市の虚無を一気に朗読によって駆け抜けました。そしてその中に旧作とはいえ藤原月彦作品50句があったことは、現代俳句朗読史において特筆されるべき事件でした。その、意味を蹴散らすかのごとき速読法や雑音・ノイズと化したマイクを通した大音響は、澱となって聴衆一人ひとりの心に残ったことでしょう。そこそこ歳の行った聴衆が「あれは何だったのですか」と必死にその意味するところへ辿り着こうと懇親会で質問してこられました。もう、その段階で藤原朗読は成功しているのだと答えました。

そしてもうお一人、俳句に血の通った人間を取り戻そうとする本格派=櫂未知子女史が朗読処女を破られたことも、特記されるべきでしょう。現代俳句は綺麗事へと堕ち始めています。朗読とて同じです。クラシック音楽や柔らかな和楽器にのせた、「いかにも」という朗読をなさる方もおられますけれど、未知子朗読は違いました。「作家が生きている」のです。生きているとは、血が流れているという意味です。未知子朗読は、清楚なる野蛮でありました。朗読そのものは地の文にあたる「語り」が多く、俳句朗読というよりも俳句朗読を交えたスピーチともいえる内容ではありましたが、観衆の心を捉えていましたね。今後のさらなる可能性を秘めた画期であったと思います。

里の仲間の朗読については、一々は記しません。ただ、僕の「俳句読演」という方法を知っているにもかかわらず、だれも僕の真似をすることのない「里」という集団を頼もしく思っています。一つあるのは、俳句朗読は俳句を朗読するのですよ、地の文・語りは少なめに、と申し上げておきましょうか。

大成功多謝。第三回はもっと盛り上げます。精進しましょ。

写真がうまくいきません。もう少しお待ちくださいね。

3.8第二回朗読火山俳in佐久写真構成(まだ写真が入っていないところが多くてすみません)

なお、このページに適切な大きさはありません。写真文章流し込みです。適当にお遊び下さい。そのほうが当日の雰囲気に近いと思います。いえいえ、僕にPC技術がないだけですが ???。

とくと御覧あれ!朗読直前二健氏が食った鯉の甘露煮はなんと天狗の面構えであった。土橋とはによる牙城挨拶代読からスタート。剽窃事件をねたに「俳の精神」を語る。牙城、鶴彬を講演(?)。オープニング朗読である。「蟻食ひの糞殺された蟻ばかり 彬」西澤みず季がトップバッター。イマジンにのせて反戦を詠う「大宇宙蟻黒々と横切れり」大井翠子「鬼灯」戰爭体験をせつせつと「鬼を浴びたギターが灯の口開くとき秘密めく」土屋郷志・某小学校教頭。四季の帽子を被り分け、「学校四季」を・・・「あまりにも軽き棺や犬 ふぐり」を最後に、四季プラス「逝く」である。   小学生から喝采を浴びたことのあるギターは、俳人たちを魅了できたか?山越三の丸は今年も原稿「ふくちゃん」が当日出来上がるという職人ぶりをみせた(よって作品引用不可)    創作落語「長屋の句会」は森泉巨山。朗読会に落語これがなかなかに笑いを取った。「苦労がねえ、あっしの風鈴鳴りにけり」。で、この絵が次の朗読の舞台、南佐久郡臼田の昭和30年代の風景。「哀しい源爺」という創作民話作者・宮沢春花。朗読は、佐久の土を掘り続けている埋蔵文化財課・森泉理文「腹七分風狂三分へこき虫 小出秋光」第一部を締めたのは新妻を連れて来た、目黒新樹こと哲朗。主題もなんと新婚旅行。映像を駆使した朗読が新鮮「揺れる揺れるシートに眠れ年一夜」ここで中入り。佐久ホテル北斎ホール前で語るは、三の丸・松丘・郷志・理文 中入りもう一景 未知子・牙城          

自称・未知子さんの前座、仲寒の鳥籠で中入り後スタート、いやタイトルは「これは鳥籠ではない」。「鳥籠の外が中かもしれぬ朧」。これでは顔がみえないので、もう一つ。そして櫂未知子「ひらく」。淡々氏いわく「ライザ・ミネリ」僕はそれを「来座身練」と文字った。人生の閉ざされた十数年と開かれた数年を堂々たる舞台度胸でうたいあげる。「啓蟄やかがやきまさるわが三角州(デルタ)」。では、小さな写真で、本人曰く「門外不出よ」のポーズを。そして、天狗仮面=宮ア二健登場「貧乏ー笥」。この写真からすると、天狗面の穴から生の口や目が覗いておるようじゃが、客席からは判らぬ。「天井が底なし沼だ」・・なお、これが法螺貝プラス喇叭の「ホラッパ」・・・。続いて、藤原龍一郎「ノーモア・イエスタディ」。このアングルは、天狗のショット。なお、掛け軸の字は、牙城・お粗末でした。「狂おしき残花美貌の都にも」すべて12文字・17音の50句だった。ふつうのショットも、こちらは松丘撮。「燃えつきて白き灰への蕩尽はジョーのみならず のみならず今日」。最後に島田牙城「俳句読演第四弾」「川30句」「太古火を流せる川を桜かな」 朗読は、絶対に剽窃しようのない、刹那の出来事です。終わればみんな笑顔です。舞台に上がった出演者一同。

松丘さん、二健さん、写真有難う。記録は敬称略。四つだけ、その後の雰囲気を伝える写真を入れておきますね。懇親会も盛り上がりました。雑誌と句集を交換するいとう岬さんと北大路翼さん翌日の火山俳句会、寒さんは翌日も舞台衣装でした。火山俳句会寄せ書き

まだまだ写真はありますので、ときどき触りますね。

「第2回朗読火山俳」寸感@ 投稿者:二健  投稿日: 3月23日(日)17時37分39秒

 

「第2回朗読火山俳」のプログラムのお披露目に準じて、私見を述べさせて頂きます。
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                   ―前半―
1)オープニング朗読=島田牙城 ≪鶴彬あるいは俳の精神のこと≫
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◇決して高名とは言えない反戦川柳人・鶴彬への着目は、今回の俳句朗読会の特質と意義を端的に示した。ただならぬ時の権力体制に、ペンと身をもって真向かい散って逝った鶴彬の青春性と反骨精神を知らされた。島田牙城という俳人が、過去の一介の一川柳人を注視して巻頭の朗読に持ち込んだ意図と目的は次に拠ると思う。先ず第一に、イラクでの戦争が差し迫り、北朝鮮問題の時局にあること。この状況を踏まえれば、我々の先達たる鶴彬をクローズアップする意味がある。第二に、川柳と俳句は俳諧から始まったという根本認識を今更ながら持つべきだということ。柳俳の枝葉的違いよりも俳という同根を見据え、その本質をわきまえることは俳人の俳人たる所以であるということ。第三に、それらの事はすべて俳の精神に帰結すること。そう自覚すべきと肉声で訴えた上で、今回の朗読会が成されるというモチベーションの表明であった、と聴き取った。「手と足をもいだ丸太にしてかへし  鶴彬」

2)西澤みず季 ≪IMAGINE≫
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◇清楚な和服女性の俳句朗読と故ジョン・レノンの反戦歌の組み合わせは、和の精神と世界をつなぐ音楽の輪のジョイントである。舞台後部に後ろ姿で佇むさり気ない所作に寡黙な哀愁を感じた。その存在感は帯の斜め結びが象徴的に物語っていた。語らずして語る、そんな光景だった。みず季氏の大仰でない朗読表現は、人としての香りとシルエットで伝わるものがあった。「薄氷や足変へられぬフラミンゴ  みず季」

3)大井翠子 ≪鬼灯≫
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◇母堂様の産褥と銃後の体験を、軽妙な随筆とその節目の俳句で綴られた。一脚の木椅子に手をかけ語りかける花様のドレスの姿は、昔日の光彩を走馬灯のように見せてくれた。翠子氏ならではの半生が垣間見られる重みが、鬼灯というもの言わぬ具象に集約された。「鬼灯の末のふたつはうすみどり  翠子」

4)土屋郷志 ≪学校四季≫
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◇季節ごとか場面ごとに違う帽子を被り直しするイメージチェンジと、大振り小振りな仕草がいたって効果的で、春夏秋冬+「逝く」の場面の起伏が明晰な俳句朗読と共に昇華した。構えず安心して観ていられた。小学校の諷詠を終えてからの終章「逝く」4句は、幼くして人に非ずの旅立ちの場面が描かれていて悲痛だった。今日は供養の日でもあったのだ。「蒲公英を髪に愛児や入棺す  郷志」

5)ギター弾き語り=山越三の丸 ≪福ちゃん(徳之島帰行)≫
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◇昨年よろしく年季の入ったギターを抱え、フォーク魂そのものがつん裂けるほどの絶叫には、度肝を抜かされる。俳句を弾き語りの歌詞といて歌う試みは、ことある毎にお目にかかるが、訴える心が飛び出してきたので、つい引き込まれてしまった。一度位お喋りを入れてもいいかなと思う。作品集の冊子掲載に間に合うように句稿は前もって出してほしかった。

6)創作落語=森泉巨山 ≪長屋の句会≫
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◇どうにいった本格派の俳句落語を堪能させてもらった。落語そのものが俳諧精神だと痛感させられる。与太郎の俳諧解釈や棟梁の作句には大笑いした。落ちを現代にもつれ込ませるタイムマシン的テクニックに脱帽。とにかく面白かった。一人舞台でも通用する玄人はだし。通の藤原氏も唸っていた。

7)宮沢春花作創作民話=朗読・森泉理文 ≪哀しい源爺≫
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◇民話兼時折他者俳句代読で、観衆は園児となって目を輝かせた風情。壇上に張られた大判の人里の絵と手前に置かれた厚紙製猫ちゃんはれっきとした創作作品のようだ。そういったものがあると場のイメージに入りやすい。自作の俳句を朗読するべく「朗読火山俳」のコンセプトとは別路線かも知れないが、主催者の許容もまた柔軟なコンセプトといったところだろう。

 


「第2回朗読火山俳」寸感A 投稿者:二健  投稿日: 3月23日(日)17時36分42秒

 

8)目黒新樹 ≪エアラインズ≫
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◇第1回と同様スクリーンにイメージ画像を映写しての朗読。題からして空港や飛行機の映像が無機的に流れる。刻々と変化する舞台のスクリーン以外は闇の中で、音声と映像に神経が集中される仕掛けだ。青年らしく唯一モダンでクールな表現のステージだった。みず季・三の丸・寒蝉氏らと共に初回からの里の出演者で「朗読火山俳」らしさを形作っている。新樹氏のような若い年齢層の存在は不可欠だ。「朝羽振るエアラインズに冬うらら  新樹」

                   ―後半―
9)仲 寒蝉 ≪これは鳥籠ではない≫
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◇演者が椅子に座り傘を広げると、周りは青い網で取り囲まれた状態になった。移動式蚊帳か養蜂場の新型器具か、はてまた隔離室なのか、謎めいた道具仕立てで目を引いた。題が「これは鳥籠ではない」となっているからそうなのだろう。技ありのグッドアイディアだ。毎回、寒蝉氏の一技には注目したい。「鳥籠の外が中かもしれぬ朧  寒蝉」

10)櫂 未知子 ≪ひらく≫
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◇身をもって開いて見せる説得力にはたじろいだ。そのお立ちの姿は人の字形だ。人を示して人を否定する背反即ち俳の一念。俳句朗読の間の余談も結果オーライで、効果あり。人間味が露呈する刹那なのだ。三味線の高橋竹山もジャズボーカルとピアノの綾戸智絵も余談に味があった。朗読初挑戦という触れ込みだが、才覚の頭角はこのままではすまない。今後の更なる“ひらき”が期待される。「脚ひらく氷湖に刃入るるとき  未知子」

11)天狗仮面=宮ア二健 ≪貧乏箪笥≫
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◇出番前に楽屋で生温い半端ビールを盗み飲みしたら、ホラッパを吹く息が切れた。舞台で調子に乗ってやり出したら時間の観念がなくなり、準備したBGMの曲が進み過ぎて予期せぬ事態発生で七転八倒。時間オーバーで降ろされなかったのは火山俳様様。いやはや醜態晒し。「やるかやらんのか貧乏箪笥に聞いてくれ  二健」

12)藤原龍一郎 ≪ノーモア・イエスタデイ≫
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◇なんと盛りだくさんな矢継ぎ早な詩歌朗読メドレー。しかも自らの録音テープとの音声多重とは神業とおぼしきこと。締め括りはポップなBGMに乗って升目12文字俳句の連続朗読。座布団の巨山氏と椅子の龍一郎氏は、たいそうな創作者兼職人芸を披露した。「燃えつきて白き灰への蕩尽はジョーのみならず、のみならず今日  龍一郎」

13)俳句読演第四弾=島田牙城 ≪川≫
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◇「読演」とは牙城氏が編み出した言葉。なかなか的を得ている。内外の川百態から遠景近景の人間社会に切り込む白熱の読演ぶりは、声量十分かつ気力充実で一つの模範朗読として揺るぎないもの。十人十色の朗読会を締め括るに相応しいトリであった。「鷹の目の川に掉さす櫂未知子  牙城」

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【付記】全体をカメラのファインダーを通して見ると、光量不足なのは設備上仕方なかったが、心置きなく撮れた。各人各様な演出や工夫がなされていて見ごたえがあったと感じたのは私だけではないだろう。出演者の持ち時間は1人8分〜13分が原則なことも的確だったので、長さで飽きることはなかった。昨年の第1回目からの継続者6名と初参加6名の、計12名の安定性と増進のバランスも良かった。牙城氏らの信念と実行力に因り、たった2回目にして定着し、発展したことは願ってもない邁進だ。ただ気がかりなのは、散文朗読や自句以外の朗読は別物だと思う。俳句か川柳の自句朗読を中心にしていかないと、よくある普通の朗読会と変わりなくなってしまうのではないか。俳人として、句会だけではなく朗読会もやっていく時に来ていると実感した。
もとより、本家本元の里俳句会の皆様を差し置いて、恵まれた場と、お持てなしに甘んじさせて頂いて、有り難きことこの上ないと思う次第である。 -57019