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青年のための俳句学校K(「里」2003年6月号より転載)

島田牙城

仮名遣ひについてT

(今回は歴史仮名遣ひにて記す・若干間違つた仮名遣ひが出てくるが、訂正してゐる時間なし。ごめんなさい)

 この「里」といふ雑誌には、さまざまな作家が集つてゐる。主宰誌ではないのだから、僕の意見を絶対視してはいけない。どの世界でも、さまざまな意見が渦巻いてゐるからこそ、自分の意見に対しても反省を求められるのであつて、その先に個々の、確固とした一家言といふものが芽生えるのである。

 これから、仮名遣ひについて書くけれど、僕は歴史仮名遣ひへの安易な凭れ掛かりといふものが、現代俳句の病巣を考へる時に有効だと思つてゐる。問題を出す。

問 左の公式の誤りを指摘せよ。

 俳句は五・七・五定型である→この定型は日本語の文語のなかで進化発展してきた→文語は歴史仮名遣ひで書かれてゐた→俳句は文語で書かれなくてはならない→よつて俳句は歴史仮名遣ひでなくてはならない。

 右の公式は、俳人たちの多くが肯つてゐる公式である。そして、主宰といふ絶対権力者によつて俳句のいろはを植ゑ付けられた初心者は、右の公式を疑ふことなく肯ふことを強いられる。初心者はいつしか中堅となり俳壇に出てゆく。そしていつのまにやら、右の公式は反省されることなく俳壇の常識となつて蔓延してしまつたのである。一種の洗脳である。

 言つておくが「俳句は歴史仮名遣ひでなくてはならない」などといふ戯言が蔓延してしまつたのは、ここ数十年のことに過ぎない。一九四六年に「現代かなづかい」が公示されるまでは、一部のマニアックな「表音仮名遣ひ」志向者以外は俳句を歴史仮名遣ひで書いてゐたのである。「現代かなづかい」といふ御用学者と行政によつて押し付けられた約束事が誕生する以前は、歴史仮名遣ひそのものの研究成果による若干の異動や、書き癖による誤表記はあるものの、だれもが当然のこととして歴史仮名遣ひだつたのである。

 「『俳句は歴史仮名遣ひでなくてはならない』などといふ戯言」と書いたが、「文語=歴史仮名遣ひ、口語=現代仮名遣ひ」といふ明らかな誤謬を、俳人と会話をするなかでしばしば耳にするからである。先月「疑う目線」について書いたけれど、「文語=歴史仮名遣ひ」といふ公式を疑つたことのない人がどうにも多いのだ。現代仮名遣ひが公示されるまでは、口語であらうが文語であらうが歴史仮名遣ひで書き表してゐた。仮名遣ひといふものは口語だからとか、文語だからとかで区別されるものではない。「現代かなづかい」のまえがきに「主として現代文のうち口語体のものに適用する」とはあるものの、現代仮名遣ひを文語に適用してはならぬとは書かれていない。現に岩波文庫などでは明治期の明らかに文語体の思想書、例えば『学問のすゝめ』までをも現代仮名遣ひに無理やり直して版行を続けてゐる。言文一致以降の小説、鷗外も漱石もすでに現代仮名遣ひだ。さうしないことには、大学生ですら明治大正の文学に親しむといふことをしないといふご時世なのである。また、家を「いへ」と書くか「いえ」と書くかは、文語とか口語といつたこととは関係がない。仮名遣ひと文語・口語は切り離して考へねばならない。現代仮名遣ひが告示されて、行政文書だけでなしに教育現場や新聞雑誌類が追随したがために、この仮名遣ひはあつといふ間におほむね定着し、すでに五十七年が過ぎようとしてゐる。

 原典に当たる必要のある学者には歴史仮名遣ひを特別に学習していただくとして、古典の全てを現代仮名遣ひで印刷しようではないか、といふとんでもない時代が、あと数十年もすればやつてくることだらう。なにせ立春は冬だと言ひ立てて、そのやうな歳時記がだうだうと出版される二十一世紀なのだから。例へば芭蕉の句が、

  あさがおに我は飯食うおとこ哉  芭 蕉

  あらとうと青葉若葉の日の光  同

などと教科書に載る日も近からう。そんな時に俳人はそんな暴挙を阻止する理論を持つてゐるのだらうか。「俳句は文語だから歴史仮名遣ひでなければなりません」などと騒いだところで、学者には赤子を捻る程度のこととならう。戦後の御用学者は言葉を伝達の具と考へた。その言で行くと、古典が現代の若者に読まれないのはいつまでも歴史仮名遣ひを使用してゐるからである、と遣られるであらうし、続けて歴史仮名遣ひこそ日本文化を衰退させる元凶であると罵られるであらう。俳人の現代仮名遣ひ派もまた不勉強なものだから、かういふ形で歴史仮名遣い派を攻めてくる人は少ないやうだけれど、国家的事業として古典も現代仮名遣ひで表記しようとなつた時、歴史仮名遣ひ派俳人はたちどころに一網打尽である。そして、自分たちでは何も言ひ出せずに、国家主義者や民族主義者たちの後塵を拝しつつ、よれよれになりながら歴史仮名遣ひにしがみつくことになること、必定である。

 そろそろ始めに記した問の正解を書いておかうか。

 「俳句は文語で書かれなくてはならない」は間違ひである。歴史上文語で書かれることが多かつたからといつて、現行の俳句にそれを当て嵌めることには無理がある。我々は多くの口語で書かれた俳句を知つてゐる。この公式のここの部分が間違ひであれば、当然以下は全て間違ひといふことになるけれど、もう少し見ておくと、「よつて」が明らかに間違ひである。万が一「俳句は文語で書かれなくてはならない」が正しいとしたところで、この「よつて」、即ち「文語=歴史仮名遣ひ」といふ公式は間違つてゐる。だから僕は、俳句を現代仮名遣ひに拘つて書く人を認める。

 ただ、ここで逆のことを書く。僕はとことん歴史仮名遣ひを使ふ。手綱は「たづな」なのに絆(=気綱)は「きずな」なのださうな。土地は「とち」なのに地面は「じめん」だという。こんな御用学者が作つた仮名遣ひを何故僕の作品に使はねばならぬのか。日本語を壊してゐるとしか僕の眼に映らない現代仮名遣ひで、僕は作品を書きたくはない。次号では現代仮名遣ひ出生の誤りや法則の誤りについて、書く。

(僕は「歴史仮名遣ひ」と「的」を入れずに呼んでゐる)

青年のための俳句学校L(「里」2003年7月号より転載)

島田牙城

仮名遣ひについてU

(今回も歴史仮名遣ひにて記す)

 

 一九四六年に施行された「現代かなづかい」が今日の仮名遣ひの基底をなしてゐる。僕は専門的な研究者ではないので、最近の国語審議会や学問上の国語学などには疎いところもあるけれど、『広辞苑』(第五版)に掲載されてゐる「現代仮名遣い」は一九八六年の内閣告示だ。「現代かなづかい」より「現代仮名遣い」の方がよほど日本語の表記に優しい規制ではあるものの、歴史仮名遣ひを概ね否定してゐることに変はりはない。その上、現代社会の中枢をなす人たちが「現代かなづかい」での初等・中等教育を受けてをられるものだから、歴史仮名遣ひにも一応は配慮の姿勢をみせた「現代仮名遣い」はほとんど無視されてゐるのが実情である。一例を挙げようか。促音「っ」について、「現代かなづかい」では「小書きにする」とさだめられてゐるけれど、「現代仮名遣い」では「なるべく小書きにする」とゆるやかなのだ。しかし現代の仮名遣ひにおいては小書きにするのが「当然」だと思ひこんでゐる人が圧倒的である。また、これをどうにかしてくれないかと僕はいつも思つてゐるのだが、動植物の名前を片仮名で表記するのは「現代かなづかい」がさうせよと断定したからであつた。「現代かなづかい」と同時に施行された「当用漢字表」から動植物の漢字がことごとくといつてもいいくらゐに削られたのも、この断定と連動してゐる。「現代仮名遣い」ではこの規定は外されてゐるのだけれど、だから僕たちは自由に動植物の名を漢字や平仮名で表記してもいいのだけれど、十七年たつた今日でも、教科書を中心に動植物名は概ね片仮名表記である。犬をイヌと書き、狸をタヌキと書く。平仮名で、いぬとかたぬきと書くのならまだ理解も出来るけれども、片仮名書きなのは、なにも一部の者の言ひ訳である「学術用語が片仮名」だからなのではなく、一九四六年施行の「現代かなづかい」の責任なのだ。

 では、一九四六年に日本語の表記にどういふ事態がおこつたのだつたか。前号で示したやうに、現代仮名づかひか歴史仮名遣ひかは、けつして文語か口語かといふ次元の話ではないのであるから、この一九四六年をきつちりと検証することなくしては、何も前進しない。

 「現代かなづかい」は、政府の主導で導入された仮名表記法である。すなはち人工的な仮名遣ひである。ではなぜこの人工的な表記法が導入されたのか。時代の雰囲気を、生まれてすらいなかつた僕が思うのは次のことだ。。天皇制をからうじて維持する代償として、日本といふ国はあらゆるシステムを否定され、また自ら否定した。それこそ「国家総動員」で過去を清算することにやつきになつたのが、太平洋戦争直後の日本の姿だつたのだらうと、僕は見てゐる。

 そんな時代の風潮の中で、日本語の二つの表記にメスが入つた。漢字と仮名遣ひである。漢字は早書きする時の手書き字体と活字体を一緒にしようとして、別の意味を持つ「辨當」の辨も「辯護」の辯も一緒の「弁」でよいといふことに、また、画数は同じだから簡略化されたとは到底言へないのだけれども「」は「青」と書くといふふうに、それだけではなく、「柿」も「猫」も動植物名だから当用漢字から外すと「改革」された。仮名遣ひは「表音通りに」という名目のもとに助詞「は」「を」をそのままに残すといふ結局は表音「的」仮名遣ひにすぎない人工的な仮名遣ひを採用するといふ形で、千数百年の積み重ねのある仮名遣ひを放棄したのであつた。

 では、どういふ理由でこの二つの「改革」が行はれたのかといふと、志賀直哉の「日本の国語ほど不完全で不便なもの」はないといふやうな、また、この日本語の形態があたかも戦前の日本の思想を形成したかのやうな論調がこの「改革」を支へたのである。そうした一部日本人の思潮に敏感に、アメリカの教育使節団はローマ字採用を指示し、志賀直哉にいたつてはフランス語を国の言葉に採用せよといふ暴論を記したのだつた。この当用漢字や現代かなづかひを制定した国語審議会の委員が、戦前からの日本語簡略化派で多くを占められてゐたことは、ここに記すべくもないだらう。例へば、日清戦争の折には敵国字たる漢字を廃止せよといふ論が出たのだといふ。右の「改革」に僕は同じ匂ひを感じる。「敵は我にあり」といふかたちで。正字や歴史仮名遣ひが日本の文化の進展を阻害し、軍部の暴走から天皇崇拝思想を助長し、昭和の戦争を負けに追ひ込んだのか。正字や歴史仮名遣ひが日本文化の前進を阻害したのか。近代国家樹立以来五十年もたたずに、国民皆教育を果たしたにもかかはらず、こんな言ひがかりを一九四六年の日本の民に跳ね返す力がなかつたことを、僕はそれ以降に生まれた人間ではあるけれども悔やむ。そして悔しい。戦争とは負ければ何もかもを失ふ野蛮行為なのだ。

 地を「chi」と読ませるときには「ち」と表記し、「di」と読ませる時には「じ」と表記するといふことをなぜ「学識経験者」かなにか知らないけれど、一部の人が決めるのか。そしてなぜ、日本語を使ふものがそれに従はなければならないのか。発音の変化は時代がうつるに従つて起こる。だからかつて存在した日本語の「di」「zi」の違いは今、ほとんどない。だから「じ」と「ぢ」をひとつにしよう。そのほうが機能的ではないか。これが現代仮名使ひ派の唯一の論理である。では、仮名とは全くの表音記号なのだらうか。記号なのではなく文字なのだ。文字である限りそこには「意味」が込められてゐるのではないか。「じ」からは「自分」や「時間」を思ひ出し、「ぢ」からは「地面」や「鼻血」を思ひ出すといふふうに、仮名といえども意味を内包してゐる。

 僕は、戦後十八年の一九六三年に小学校に入学した。あいうえおを習つた。「を」の発声の時に、僕は「wo」と発音した。松田先生が素つ頓狂な声を張り上げた。「今『wo』と言つた人は誰?『wo』じゃないわよ。『o』よ!」。(次号に続く)

 

青年のための俳句学校M(「里」八月号より転載)

島田牙城

仮名遣ひについてB

今月も歴史仮名遣ひにて記す

 

 

 そろそろこの問題にも決着を付けておかう。

 日常使つてゐた仮名遣ひや漢字字体に対して、日本語の表記は難しいといふ嫌疑を自らかけた一部の学者や作家と日本政府の歪んだ考へ方に加へ、アメリカ教育使節団の意向が強く反映されることによつて、僕たちは仮名遣ひを変更するとともに正しい漢字字体の多くを放棄した。今は仮名遣ひについてのみ物言ひするが、日本語の仮名書きが世界の言語のなかで特に難しいものだつたとは思はない。例へば英語の「pipe」、僕にはどうしても「ピペ」としか読めないやうに思ふし、無理しても「プイペ」だらうと思ふのだけれど、「パイプ」なのださうだ。その上、「プ」は「pu」ではなく「u」といふ子音を発音しない「p」だけの音だといふ。そんなややこしいことを考へるだけで、僕は英語が嫌ひになつてしまつた。日本語の仮名遣ひに「ペ」と書いて「プ」と読ませるやうな語はなかつた。「ピ」といふ一音を示して「パイ」といふ子音を二つ要求するやうな発音はなかつた。そもそも、母音だとか子音だとかといふ違ひを、「あ」と「か」の間に感じたこともなかつた。たぶん日本語の発音は、母音子音といふわけ方とは別の法則によつてゐるのではないかとすら、思つてゐる。英和辞典には単語のすぐ後ろに発音記号といふややこしいものが付いてゐて、英語文化圏の人以外はそれを確認しないことには綴りからだけで発音することなど出来やしないといふことを示してゐるではないか。なんとややこしく難しい言語であることか。だからといつて、表記と実際の発音とが違ふので表記を改めて今後発音記号で表記するやうにいたしませう、などといふ提案が一度でもなされたことがあるのだらうか。「パイプ」は今後「páip」と書きませう、などと提案しても、まづもつて一笑にふされるのが落ちであらう。何故かといふと、英語文化圏の人にとつては「pipe」といふ単語が「p+i+p+e」なのではなくて「pipe」といふ一塊り、漢字のやうな表意とまではいかなくとも、表音と表意が合体したやうなまとまりとしてあるからである。「pipe」を明日から「páip」と表記すると言はれても、喜ぶのはせいぜい小学校入学前後の、まだ綴りと発音が合致しない子供たち程度のことであらうし、他の一般人たちにとつては、変更されることとなる単語があまりにも膨大だといふことも相俟つて、「勘弁してくれよ」といふことになるであらう。日本語でいふと、例へば「てふてふ」を、または「けふ」を考へてみればこのことはよく判る。これらは一塊りの表意と表音の合体語なのではなかつたらうか。歴史仮名遣ひに親しんでゐる僕にはさう思はれて仕方がない。「てふてふ」は、現代的な発音は「ちょうちょう」なのだらうけれど、それを戦後の「現代かなづかい」として流通させてしまつたものだから「ちょうちょ」という尻切れトンボ単語が派生したのだらうと思つてゐる。「蝶蝶」はどこまでも「てふてふ」であつて「てふちょ」にはなり得ない。「みやこ蝶々」さんは「てふてふ」さんなのであつて「ちょうちょう」さんなのではないし、ましてや「ちょうちょ」さんでは有り得ない。

 戦後五十数年で日本語がどう痩せたのか、僕は詳らかにはしないし、俳人を始めとしてさまざまな作家によつて日本語が鍛へ続けられてゐることを信じてゐるけれど、現代仮名遣ひの普及によつて何が一番問題なのかといふと、言葉の表記は「時代によつて変はる」といふ説を植ゑつけてしまつたことである。いや、言葉は変化する。そのことは否定しない。しかし、どんなに言葉が変化したからといつて、人工的に綴りすなわち日本語にとつては仮名遣ひを触つてはならない。なんとなれば、人工的に綴りを変へた時点で、文化に大きな断裂を生むからだ。歴史仮名遣ひ文化と現代仮名遣ひ文化というものがあるとは思ひたくないけれど、「旧かなを使つてゐる以上、俳句は現代人にうけいれられない」といふ趣旨の説を読むたびに、一九四六年の無意味な現代仮名遣ひ制定さへなければと思ふ。俳句の革新、普及、新たなる歩みと言つてもよい、子規・虚子・運動としての新興俳句と、すべて歴史仮名遣ひ時代の成果であつた。このことを思ふだけでも、歴史仮名遣ひにマイナスイメージはない。

 歴史仮名遣ひは難しいと言ふ人がある。はたしてこれは本当だらうか。僕たちは現代仮名遣ひで教育を受けたのだから現代仮名づかひについては当り前のやうに使つてゐるけれど、編集や校正の仕事をしてゐると、現代仮名遣ひといへども辞書が手放せない。「こんにちわ」は一九八六年の内閣告示でも認められてはいない。「こんにちは」と書かねばならない。内閣告示の「現代仮名遣い」を読むと、「悪天候もものかは」なんていふ例まで出てゐる。狼は「おうかみ」ではなく「おおかみ」だともある。それなのにややこしくて「世界じゅう」は本則であつて「世界ぢゅう」と書いてもいいなどと記されてゐて、歴史仮名遣ひよりもよほど複雑なのだ。なぜ複雑なのかといふと、歴史仮名遣ひが言語の自然発生による「法則」に則つてゐるのに対し、現代仮名遣ひが人工的な「規則」に則つてゐるからだ。逆に言へば、歴史仮名遣ひは始めは馴染みがないのだから難しくも思ふだらうが、一端歴史仮名遣ひの法則に身を委ねると、マスターするまでに日は掛からない。

俳句で現代仮名遣ひを主張する人は、ご自身の使つてゐる現代仮名遣ひに自信があるのだらうか。「世界ぢゅう」といふ「内閣告示現代仮名遣い」で許容されてゐる現代仮名遣ひを見て「歴史仮名遣ひだ」と目くぢらをたてる人のはうがおほいだらうといふのは、僕の経験からの断定である。「走つて」と促音を大きく書いても、「現代仮名遣い」の範疇であること、前号で示した通りだ。現代仮名遣ひは今後も変化する。いつ、どう変化するかは国語審議会と内閣の匙加減一つ。明日変はるやもしれぬ。歴史仮名遣ひは、国語学の研究成果で「いてふ」は「いちやう」、「どぜう」は「どじやう」が正しいといふやうな若干の異同はあるだらうが、上代に確立した仮名遣ひを基としてゐるのだから、今後変はる心配はないのである。

以上が、日本語文化に取り返しのつかない断絶を生んでしまつた現代仮名遣ひを、僕が使はない一つの理由である。

目がちかちかしたかもしれませんね。ごめんなさい。