自覚ということ(下方の「物を作るということ」もどうぞお読み下さい)
――――――――櫂未知子の問題提起に応えるために
いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂 未知子
いきいきと死んでをるなり兜虫 奥坂 まや
この二句の極似が、櫂さんの二つの文章によって公にされた。一つは「文藝家協會ニュース」九月号の「俳句のオリジナリティーとは」であり、もう一つは「俳句研究」十一月号の「奥坂まやさんに問う----俳句のオリジナリティーとは」であった。論旨が明確だ。たった十七音の俳句が宿命的に背負う類句について触れた後、奥坂が櫂の作品を知りながら、「兜虫」という季語であれば類句にはならないと作家としての判断を下したことに対して疑問を投げかけている。櫂は自分の作品を盗まれたことを、文章の上では嘆いてみせてはいない。奥坂が取った作家としての態度について、冷静に問うているのだった。
実は、先に発表された「文藝家協會ニュース」の方では、作品は出ているものの、類句の方の作者名が伏せられていた。これには櫂の礼節が働いている。奥坂の作品は「俳句研究」に発表されていたのであり、「俳句研究」誌上でこそこの問題を真に公にしようとする態度のことである。だから私も、「俳句研究」に文章が掲載されるまで、この問題への言及を努めて避けてきた。櫂自らがこの問題について「俳句研究」誌上で発言することを、私のBBS「俳句の里の交差点」に書き込んでいたからである。これもまた、僕の櫂に対する礼節だったと言えば言えるか。
しかし、「俳句研究」を手に取って愕然とした。櫂の問題提起の次のページで、奥坂が当の作品を取り消しているのである。右の奥坂の作品を僕がこのように引用することすら、今ではすでに封じられている。正しくは、
いきいきと死んでをるなり兜虫 奥坂 まや
とでも引用しなければならないのだ。だとしたら、櫂の三ページに亙る問題提起は何だったのか。奥坂の「櫂さんに、まず、お詫び申し上げなければなりません」に始まり、「ここに深くお詫び申し上げるしかなく、私の作品は抹消いたします」で終わる「返信」という一ページの文章をもって、櫂の大切な問題提起すらもが抹消されてしまうことを、僕は恐れる。櫂は勿論一個の事件としての奥坂の態度を問うているけれど、その先に、広く俳句の書き手がオリジナリティについて考える礎となればいいと思っていたはずである。だからこそ怒りを抑えて三ページもの問題提起という行動にでたのではなかったか。
曲がりなりにも、僕はジャーナリストである。本来、ジャーナリズムというのは野次馬根性のことであったらしい。面白そうなことに飛びつき、それを掘り下げるのがジャーナルの仕事である。この「面白いこと」の尺度によって、ジャーナリストの質が問われるのだが、質が低いからといって、売れないとは限らない。質が高いからといって本質を突く取材ができるとも限らない。野次馬根性たる所以である。
今回の問題、僕が雑誌媒体を編集していたとすると、勇んで飛びつくであろう格好のニュースである。季語を変えただけの作品が堂々と発表され、盗まれたと感じた側がオリジナリティを問題にしようとしているのだ。俳人たちがどう反応するかを見てみたいと思うのが、ジャーナリストの普通の感覚というものであろう。また、そうした野次馬根性が一つの世界、一つの世間に揺さぶりを掛け、澱んでいる空気に自浄作用をもたらすのである。ジャーナルとは今ではそれ自体が一つの表現媒体のようになっているけれど、政治なら政治、俳壇なら俳壇の起爆剤でなくては意味がない。
とすると、櫂の問題提起の次のページに奥坂の「返信」を載せ、問題提起の大前提である作品そのものを抹消してしまうという今回の「俳句研究」の編集方針は、ジャーナリストの採る態度としては異例なのだ。
普通の感覚のジャーナリストなら、櫂の文章を掲載した次の号、即ち十二月号に奥坂の「返信」を載せるという方法を採用するであろう。この方法であれば、読者は次の号が出るまで(「俳句研究」は月刊誌)の間考えることができる。俳壇内外でこの問題の議論が湧くことも考えられる。作品以外に寄って立つ場のない作家の作品、そのオリジナリティを考えることは、俳句そのものにとってのプラスに作用するに違いない。しかし、今回の編集方針では、その機会は見事に奪われたのである。問題を早期に終結させ、奥坂を守ろうとする意図が、僕の鼻には強く匂ってくるのだ。これでは俳句ジャーナルの堕落だと言われても致し方なかろう。
ただし読者の前には、奥坂による二つの奇妙な文章が残されている。櫂が主要部分の全文を引用した八月二十三日の「俳句研究」編集部宛の一文と、「返信」と題された多分九月末近くに草された一文である。この文章から、今回の事件に象徴される俳句の世界に潜む落とし穴が見えてくるのではなかろうか。
それを検証する前に、奥坂作品についての僕の見解を述べておかねばならないだろう。櫂の作品は、櫂の代表作の一つであって、水中花を活写し、「いきいきと死んでゐるなり」という十二音を「水中花」によって定着させた功績は、すでにさまざまな作品評によって揺るぎなく定まっている。ここ二、三年総合誌をはじめ多く引用されている作品であり、評論もしばしば執筆する奥坂が「知らない」では済まされない作品である。奥坂自身、「櫂さんの作品は勿論、存じあげていました」と言っている。その上で奥坂は「いきいきと死んでをるなり」と表現しているのだから、これは明らかに剽窃である。類句、類想の類とは分けて考えなければならない事件だと、僕は断定する。こうした盗作事件で最近思い出すのは、小林亜星の曲を服部克久が盗んだとされる裁判だが、法律上の著作権というのは、知らなかったで許容されるものではない。知らなくとも罪であり、知っていたらより罪が重いという問題なのだ。服部は、「小林の曲を聞いたことはあるのかもしれないが、僕は人の作品をすぐに忘れるのだ」と、うそぶいたという。しかし、言い逃れえたとしても、服部は著作権を侵害したことを免れることはできない。なんとなれば、知らなくとも罪なのだから(この件は係争中である)。ただし俳句では、知らなかった場合には先行する類句があるという表現で済ませ、著作権云々を問題にすることはまずない。ここのところの錯綜が、今回の事件に陰を落としていると思われて仕方がないのだ。類句に寛容だから、剽窃が剽窃として浮上してこないのである。
そこで奥坂の文を読んでみる。すると二つの文に、二箇所、似た言葉が使われていることに気付く。引用しておこう。
「花氷」のような生命の無いものに「いきいきと死んで」を使ったならば、櫂さんの類句になると思いますが
(八月二十三日の文より)
いわば典型的な類想句としてしか読まれないことに、ようやく気がつくことが出来ました。
(「返信」より)
上五中七の言葉は同じですが内容が違うと判断して、競作作品に入れました。
(八月二十三日の文より)
いくら意図が違っても、それを説明する余地は十七音のなかに残されていない
(「返信」より)
奥坂の二つの文を、僕は先に「奇妙な」と形容したけれど奥坂は八月二十三日段階とほぼ一ヶ月先の「返信」執筆段階で、なんら思考の回路を変えていないのである。ただ思考の先の結論を変えたに過ぎない。すなわち、
内容が違うのだから類句ではない
から、
意図が違っても類想句としか読まれない
へと。
奥坂は、櫂に対して「返信」の中で殊勝とも取れる言葉を繰り返している。しかし、奥坂の「返信」は、「オリジナリティ」を問う櫂の質問への「返信」にはなっていないのである。即ち、奥坂は櫂が問いかけているレベルでは反省などしていないということだ。
「先行句の作者である櫂さんに対しても、俳句に対しても、傲慢であり、許されないような失礼をしてしまった」ことを奥坂は詫び、そして「私の作品は抹消」されることになるのだけれど、これでは類句・類想の作品を取り消したにすぎないことになる。このままこの事件を終結させると、また剽窃の問題が埋もれてしまう。僕が「俳句」二〇〇一年九月号で齋藤慎爾や岸本マチ子の剽窃を問題にしても、その問題は俳句の世界では、悲しいかな、深まらなかった。あれからたった一年である。
ところで僕は、もう一つ、奥坂の奇妙な時間のぶれに気付いている。「俳句研究」の発売日は毎月十四日だ。執筆者にはその前後に必ず掲載誌が届く。奥坂は掲載誌を受け取ってから十日ほど経った八月二十三日に、「内容が違うのだから類句ではない」との弁明書を編集部宛に送っている。
その三週間後に、櫂の原稿を見せられた奥坂は、
ひとたび活字になって発表されてみると、私も狭い主観の世界から抜け出すことができ、云々
と書いている。弁明書を書いた八月二十三日の段階でも、奥坂は既に活字になった自分の剽窃句を読んでいたのではないのか。そこへ、櫂の文によって事が公になることを知り、、慌てて身の危険を感じたとしか、この時間の流れからは読み取れない。掲載誌が届いた十日後にも、奥坂は「類句ではない」と言い切っているのだ。この「返信」という謝罪文が、、決して櫂への侘びとして書かれたものではなく、取り繕いのために仕立て上げられた、自己保身のための一文であったと疑わざるをえないのである。
芸術家が個人の力量において定着させた表現には魂が籠もる。その魂のことをオリジナリティという。その他人が定着させた表現を無断借用することを剽窃または盗作という。僕たち言葉しか武器を持たない者が、他人の言葉で詠ってよいのか。奥坂はいつまでも「意図は違っていた」ということを主張してはならない。他人の表現を自らの表現の振りをして転用してしまったことを認めてこそ、作家の矜持というものなのではないのか。「死んでをるなり」の形容が「艶々と」では気に入らなかったと奥坂は言う。しかし、「艶々と」の代わりに「いきいきと」が頭に浮かんだ瞬間、奥坂には櫂の作品が過ぎったのではなかったか。ならばその段階で、剽窃になるのではなかろうかと意識すべきではなかったのか。「内容が違う」と思う余地があったとしたら、それは、「類句・類想」という発想しか頭になかったからだろう。奥坂の頭には剽窃や盗作という言葉がない。盗作とは、表現を盗むこと以上に、魂を盗むことなのだ。
櫂未知子作「いきいきと死んでゐるなり水中花」があるも
いきいきと死んでをるなり兜虫 奥坂まや
という作品が発表されていたとするならば、質はともかく、奥坂の遊び心を僕は理解しようとしたに違いない。俳人というのは、遊び心を解する人種なのだ。しかし、自分のフレーズを無断で借用されて、黙っているのも俳人ではない。俳人は表現者である。表現者は言わねばならぬことを言う義務を負っている。櫂はその義務に忠実に従ったまでなのである。
ただ、僕の経験から知れるのだが、この義務を単なる権利と思っている人は多い。そして、言った人を素晴らしいとほめたたえる。視点が違えば傲慢だと誹る。そうじゃない。言うべきことを言ったあとというのは、本当は、実に虚しいものなのだ。櫂が今背負っているであろう虚しさに応えるためにも、俳人は言葉を武器とする最低限の自覚を身に着ける必要がある。
物を作るということ(2003.3.2アップ「里俳句会通信」最終号掲載予定)
例えばあなたが、
海尻に人つこひとり寒の入
という句を出した同じ句会に翌月、
海尻の人つこひとり潮干狩
という句が出ているのを見て、「私の作品を真似してくれる人がいて嬉しいな」と思うだろうか。事は簡単なのである。物を作る、物を書くということは、かけがえのない己が子を産むという行為にほかならない。わが子を穢されたら、親はわが子を守るのである。
昨年末から俳句界だけでなく一部歌人も巻き込んで雑誌・新聞・インターネットで種々議論されている奥坂まやによる櫂未知子作品剽窃事件というのは、結局のところそういう単純な問題なのである。
そこのところを履き違えて議論を飛躍させてはならない。盗んだ者は盗んだことを認めて作品を取り下げればいいのだ。僕がこの「里俳句会通信」で書いたのは、奥坂が取り下げた態度がおかしいよということであった。奥坂は盗んだことを認めることなく、どこまでも「似た句だから取り下げる」と
それなのに、今、俳句の世界では、作家が為した子供にその作家の親権を認めないという、あまりにも不可思議な方向へと話が捻じ曲げられようとしている。
発端は産経新聞十一月十七日付け坪内稔典の「類想の美しさ」だった。類句類想の類は古来いろいろあると先例を挙げたのちに「水中花がいいか、兜虫がいいかは読者が決めるだろう。ともあれ、俳句は類想のさなかでちょっと独創に賭ける文芸だ」と締めくくられていた。問題がすり替えられている。剽窃作品を類句・類想レベルのこととして済ませていた。
つづいて秋山巳之流が「俳句界」で書いた文については触れないけれど、創作の本質についての話を推測の域を出ないスキャンダルに埋没させようとする下品なものだった。
二月の後半になって立て続けに二本、新聞時評が出た。先ず「図書新聞」二月二十二日号が十四日に発売され、川名大が「俳句独特の異化作用に基づく読み」を、続けて「毎日新聞」二月十六日付け短歌俳句欄に仁平勝が「俳句の言葉は共有財産」を発表した。この二つの俳壇の論客と目される方の文を、僕はわが目を疑いながら読んだ。
川名はこう書く。「奥坂の句は櫂の句をプレテクストにした句」と。即ち本歌取りだということであろう。文学が引用でなりたっているという論のあることは、僕も知っている。特に短歌(和歌)や俳諧において先の作品を下敷きとして、新たな世界を展開するという技法は、重い位置を占めてもいた。芭蕉が西行の歌を下敷きにした俳句として、
命二つの中に生きたる桜かな 芭蕉
などがあることも知られている。しかし、これらはどこまでも先行作品への畏敬の念、また、先人への畏怖の念とともにあることを私たちは忘れてはならない。
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 藤原良経
という百人一首の歌は、
わが恋ふる妹は逢はさず玉の浦にころも片敷き独りかも寝む (万葉集)
などを本歌としているが、このことに文芸評論家の勝又浩は
奥坂作品は、櫂作品に敬意を払っていない。そのことは、
次に仁平は「俳句でオリジナリティを主張することにあま
文学は単語を積み重ねることによって生まれる。音楽はド
櫂が「毎日新聞」三月二日付け俳句短歌欄に「俳句のオリ
櫂の一文を読み「俳句は死なず」と確信した。
さまざまな考えの渦の中で、私たちは創作を続けている。
以上