昭和の軍歌

目次

1.愛国行進曲
2.愛国の花
3.日の丸行進曲
4.麦と兵隊
5.同期の桜
6.月月火水木金金
7.空の神兵
8.若鷲の歌
9.よさこいと兵隊
10.海行かば
11.鎮魂頌

1.愛国行進曲

森川幸男作詞   瀬戸口藤吉作曲

宮崎市の平和台公園に聳える八紘一宇の記念碑

見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば
天地の正気溌剌と 希望は踊る大八洲
おお晴朗の朝雲に そびゆる富士の姿こそ
金甌無欠揺るぎなき わが日本の誇りなれ

起て一系の大君を 光と永久に戴きて
臣民われら皆共に 御稜威に副わん大使命
往け八紘を宇となし 四海の人を導きて
正しき平和うち建てん 理想は花と咲き薫る

いま幾度かわが上に 試練の嵐哮るとも
断固と守れその正義 進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代より 轟く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方 皇国つねに栄えあれ


この曲は昭和12年に内閣情報局が一般国民から作詞と作曲を公募してできたものです。 まず歌詞を公募したところ5万7千余りが寄せられ、このなかから鳥取県の23歳の青年森川幸男の応募作が選ばれました。 継いでこの歌詞にもとずいて曲を公募したところ、9千5百余り寄せられた応募作の中に、なんと日本軍樂の元老瀬戸口藤吉翁 の作品がありました。このとき翁は齢70、病床で作曲されたそうです。結局翁の作品が選ばれ、「軍艦行進曲」と並ぶ名行進曲が 誕生しました。23歳の名もない一青年と70歳の斯界の元老との組み合わせには誠に興味深いものがあります。

2.愛国の花

鉄兜と救護かばんをかたわらに授業を受ける日本女子大の学生

福田正夫作詞  古関裕而作曲

真白き富士の気高さを 心の強い楯として
御国につくす女等は 輝く時代(みよ)の山ざくら
地に咲き匂う国の花

老いたる若き諸共に 国難しのぐ冬の梅
かよわい力よくあわせ 銃後に励む凛々しさは
ゆかしく匂う国の花

勇士の後を雄々しくも 家をば子をば守りゆく
優しい母や又妻は 真心燃ゆる紅椿
うれしく匂う国の花

御稜威のしるし菊の花 ゆたかに香る日の本の
女といえど生命がけ こぞりて咲いて美しく
光て匂う国の花


この曲はラジオの国民歌謡として作られ、昭和12年の10月から放送されました。 勇ましいかまたは悲愴な調子の多い軍歌の中でまるでワルツのように優美な古関メロディーは多くの婦人の共感を呼び、 愛唱されました。

3.日の丸行進曲

有本憲次作詞  細川武夫作曲

紀元2600年奉祝の旗行列

母の背中にちさい手で 振ったあの日の日の丸の
遠いほのかな思い出が 胸に燃え立つ愛国の
血潮の中にまだ残る

梅に桜にまた菊に いつも掲げた日の丸の
光あおいだ故郷の家 忠と孝とをその門で
誓って伸びた健男児

一人の姉が嫁ぐ宵 買ったばかりの日の丸を
はこぶ箪笥の抽斗へ 母がおさめた感激を
今も思えば目がうるむ

去年の秋よ強者に 召出されて日の丸を
敵の城頭たかだかと 一番のりにうち立てた
手柄はためく勝ちいくさ

永久に栄える日本の 国のしるしの日の丸が
光そそげば果てもない 地球の上に朝がくる
平和かがやく朝がくる


昭和13年東京日々・大阪毎日新聞社が歌詞を公募し、その当選作にビクターの音楽関係者が作曲を 競作したところ、ビクターオーケストラのトロンボーン奏者細川武夫の曲が第一席となりできた曲です。

4.麦と兵隊

藤田まさと作詞   大村能章作曲

徐州徐州と人馬は進む 徐州居よいか住みよいか
麦畑の中を進軍する歩兵第33連隊 洒落た文句に振り返えりゃ お国訛りのおけさ節
髯が微笑む麦畑

戦友を背にして道なき道を 往けば戦野は夜の雨
すまぬすまぬを背中に聞けば 馬鹿をいうなとまた
進む 兵の歩みの頼もしさ

腕をたたいて遥かな空を 仰ぐ瞳に雲が飛ぶ
遠く祖国を離れきて しみじみ知った祖国愛
戦友よ来て見よあの雲を

眼ひらけば砲煙万里 鉄の火焔の狂う中
夕日ゆらゆら身に浴びて 独り平和の色染める
麦の静けさ逞しさ

往けど進めど麦また麦の 波の深さよ夜の寒さ
声を殺して黙々と 影を落として粛々と
兵は徐州へ前線へ


徐州は中国江蘇省西北端、北京と上海のほぼ中間にある町です。昭和13年に実施された徐州作戦に 一伍長として参加した作家火野葦平は、同年8月雑誌「改造」に従軍記「麦と兵隊」を発表しました。この歌はこの従軍記にもとずき 戦時歌謡として作詞作曲され、昭和13年12月に発売されました。晴れれば真夏のように暑く雨が降れば冬のように寒い5月の見渡す限りの 麦畑の中を、徐州に向かって進軍する兵の様子を歌っています。

5.同期の桜

満開の桜の下で歌う戦友たち

西條八十作詞    大村能章作曲

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて別れられぬ

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
仰いだ夕焼け南の空に 未だ還らぬ一番機

貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く
あれほど誓ったその日も待たず なぜに死んだか散ったのか

貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう


この歌は昭和15年頃から海軍兵学校で歌われていました。
その場合は「航空隊」の所は「兵学校」 となります。この歌は今でもコンパや宴会でよく歌われます。

6.月月火水木金金

高橋俊策作詞  江口夜詩作曲

朝だ夜明けだ潮の息吹 うんと吸い込むあかがね色の
大砲手入れ、艦名不詳であるが金剛クラスの高速戦艦と思はれる 胸に若さの漲る誇り 海の男の艦隊勤務
月月火水木金金

赤い太陽に流れる汗を 拭いてにっこり大砲手入れ
太平洋の波波波に 海の男だ艦隊勤務
月月火水木金金

度胸ひとつに火のような練磨 旗はなるなるラッパは響く
いくぞ日の丸日本の船だ 海の男だ艦隊勤務
月月火水木金金

どんとぶつかる怒涛の唄に ゆれる釣床今宵の夢は
明日の戦のこの腕試し 海の男だ艦隊勤務
月月火水木金金


猛訓練は日本海軍の伝統でしたが、軍縮会議で保有する艦艇の比率を米英それぞれ5に対し日本3に 抑えられてからは量における劣勢を質で補おうと、猛訓練にいっそう拍車がかかりました。この歌は土曜も日曜もなく猛訓練に 励む艦隊の模様を歌ったものです。

7.空の神兵

梅木三郎作詞  高木東六作曲

藍より蒼き大空に大空に 忽ち開く百千の
パレンバンに降下する陸軍降下部隊 真白き薔薇の花模様 見よ落下傘空に降り
見よ落下傘空を征く 見よ落下傘空を征く

世紀の花よ落下傘落下傘 その純白に赤き血を
捧げて悔いぬ奇襲隊 この青空も敵の空
この山川も敵の陣 この山川も敵の陣

敵撃摧と舞い降る舞降る まなじり高きつわものの
いずくか見ゆるおさな顔 ああ純白の花負いて
ああ青雲に花負いて ああ青雲に花負いて

讃えよ空の神兵を神兵を 肉弾粉と砕くとも
撃ちてしやまぬ大和魂 我が丈夫は天降る
我が皇軍は天降る 我が皇軍は天降る


昭和17年1月11日に海軍の落下傘部隊が蘭領印度(現在のインドネシア)のセレベス(現在のスラウェシ) 島メナドに、続いて2月14日に陸軍の落下傘部隊がスマトラ島のパレンバンに降下しました。この歌はその時の模様を歌ったもので、 青空に純白の落下傘が次々に開いてゆく様子が絵のように歌はれています。普通軍歌は勇ましいか、暗いかのどちらかが多いのですが、 この曲は珍しく明るく美しい軍歌になっています。高木東六さんは雑誌「諸君」の平成13年9月号で作家・演出家の久世光彦さんと 対談し、次のように語っています。「二,三年前自衛隊に招かれて習志野の第一空挺団の演習を見に行ったんですよ。 この日は新米の隊員がはじめて実際に飛行機から降下訓練をする日だったそうです。ちょうど僕らの真上に輸送機がきた時、 そこから新兵さんがどんどん降下してくる。落下傘がパッと開くのにあわせて、地上に控えていた楽隊が空の神兵の演奏をはじめたん ですよ。驚きましたねえ。感動しました。まわりにいる自衛隊の人たちもみんなで歌いだして。この歌は部隊のテーマ曲みたいに なっていて、ことあるごとに演奏しているそうですよ。ただいまの落下傘というのは白くないんですね。なんだか緑色みたいで はっきりしないですから真白き薔薇のというわけにはいかなかった。」更に、「(軍歌はいやいやながら作っていたという話をした後で) ただ空の神兵は、レコード会社の人が梅木三郎さんの歌詞を持ってきて、それを読んだ瞬間僕の頭にさわやかなイメージが広がったんです。 簡明、直裁、且つ美しいイメージはこれまでの軍歌にはなかったものです。これなら作れると瞬間的に思いました。 ・・・中略・・・あの曲は僕の曲作り、曲想そのもので書く事ができたから、確か十五分くらいで出来上がったと思います。」 この対談の時高木東六さんはおん年九七歳でした。現在日本の唯一の落下傘部隊である陸上自衛隊第一空挺団(千葉県習志野) が年の初めに初降下訓練をする時はこの曲(メロディーのみ)が流されます。
ここに載せたのは岩城拓也・橘かおるという無名の歌手によるものです。この二人の声はこの歌のもつ明るい爽やかなイメージに ぴったりで、たくさんあるこの歌のレコード、CDの中の最高傑作と思います。特に橘かおるという婦人歌手の爽やかでどこか温かみ のある歌声は絶品です。

8.若鷲の歌

予科練二人像

西条八十作詞  古関裕而作曲

若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ でっかい希望の雲が湧く

燃える元気な予科練の 腕はくろがね心は火玉
さっと巣立てば荒海越えて 行くぞ敵陣なぐり込み

仰ぐ先輩予科練の 手柄聴くたび血潮が疼く
ぐんと練れ練れ攻撃精神 大和魂にゃ敵は無い

命惜しまぬ予科練の 意気の翼は勝利の翼
見事轟沈した敵艦を 母へ写真で送りたい


この歌は昭和18年9月に封切られた東宝映画「決戦の大空へ」のために作られました。 西条八十・古関裕而のコンビは数々の名曲を世に送り、多くの国民に愛唱されましたが、この歌はその代表作と言っていいでしょう。 海軍飛行予科練習制度は昭和5年に発足し、霞ヶ浦の土浦海軍航空隊で訓練が行はれ、多くの優れた海軍航空兵を大空へ送り出しました。 現在この地は陸上自衛隊武器学校となっており、その一角にかっての予科練の記念庭園として「雄翔園」が造成されています。 日本国の領土を描いた池に囲まれた園内正面には慰霊碑「予科練二人像」が建立され、全予科練戦没者18,500柱の霊爾簿が奉安 されています。また園に隣接して記念館「雄翔館」があり、予科練の生活や訓練の模様を偲ばせる品々や写真、また予科練出身戦没者 の遺影、遺書、遺品等が保存展示されています。

9.よさこいと兵隊

鯨部隊作詞・作曲

高知懸護國神社に建てられた鯨部隊戦没者慰霊塔

南国土佐を後にして 戦地へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た

月の露営で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
自分もじまんの声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜

故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったというたより
自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
よさこいよさこい


昭和34年、NHK四国テレビ開局記念番組でペギー葉山が「南国土佐を後にして」を歌うとこれが大評判と なり、4月に売り出されたレコードは忽ちベストセラーになりました。ペギー葉山は「本来ジャズやアメリカンソングの歌手である自分は、 やや民謡調のこの歌を歌うのは気が進まなかったのだが、担当ディレクターにどうしてもと言われて歌ったところ大ヒットして驚いた」 と後に述懐しています。この歌はもともと昭和14年ごろ北支に駐屯していた歩兵第弐百参拾六連隊(鯨部隊)の兵士達が作詞作曲して 歌っていたものです。これを初めの歌詞「南国土佐を後にして」を題にして歌ったもので、歌詞も戦を連想させるものをいくつか変えた だけで、あとは歌詞も
メロディーも同じに歌われています。

10.海行かば

大伴家持作詞  信時潔作曲

海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ


この曲は昭和12年秋、当時東京音楽学校教授だった信時潔が、万葉の歌人大伴家持の歌に作曲したものです。 この歌は万葉集巻十八に収められている「陸奥国に金を出す詔書を賀く歌一首」と題する百七句よりなる長歌の中の一節です。 この曲を聞くと英霊に対する哀悼の思いが津波のように押し寄せてきます。この短い詞と曲のなかにすべてが言い尽くされ、 すべてが調べ尽くされています。この曲を聞くとき脳裏に浮かぶのは、ガダルカナルやインパールやレイテやその他多くの苛酷な戦場で、 マラリアや飢えのために死んでいった無数の兵隊さんたちのことです。さぞや無念だった事でしょう。敵の弾丸に当たって死ぬのなら 醜の御楯としての名誉の戦死であり、堂々と大手を振って靖國神社へ還って行くことができるでしょう。しかしマラリアや飢えで 死んだのでは死んでも死にきれないでしょう。靖國神社へもややうつむいて遠慮がちに還って行ったのではないでしょうか。 可哀想でなりません。この曲を聞いていると自然に目頭が熱くなり、「大君の辺にこそ死なめ」のあたりでは涙がとめどなく頬を伝わって きます。軍歌の域を遥かに越えた世界最高の鎮魂曲です。

11.鎮魂頌

折口信夫作詞  信時潔作曲

思ひみる人の はるけさ 海の波 高くあがりて
たたなはる山も そそれり かそけくもなりにしかなや
海山のはたてに 浄く 天つ虹 橋立ちわたる

現し世の数の苦しみ たたかひにますものあらめや
あはれ其も 夢と過ぎつつ かそけくも なりにしかなや
今し 君 安らぎたまふ とこしへの ゆたのいこひに

あはれ そこよしや あはれ はれ さやけさや
神生まれたまへり この國を やす國なすと
  あはれ そこよしや 神ここに生まれたまへり


国文学者で歌人・詩人としても知られる折口信夫が昭和23年秋に作詞した詞に、 昭和34年、靖國神社創立90年を奉祝して信時潔に作曲が委嘱され、この曲が生まれました。詞は万葉の 長歌を思わせる格調高い言葉で綴られており、この後に例えば
            反歌
父母(ちちはは)を はた妻子(つまこ)らを後にして 國に殉じし人な忘れそ

とでも続ければ立派(?)な万葉の歌になります。 旋律はさすが信時潔の作曲だけあって、聴く者をして粛然たらしめずにはおかない優美にして且つ荘重な調べとなって います。戦後14年も経ってこのような素晴らしい曲が生まれたことは誠にありがたいことと思います。 「海行かば」に次ぐ名曲です。歌唱は東京藝術大学教授秋元雅一郎氏です。

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