ある洋食屋の風景

ある架空の洋食屋さんに集う人々とお料理にまつわるショートストーリー集です。シェフ、お客さん、シェフの奥さん、第三者などの様々な視点からお料理をテーマに描いてます。(全てフィクションです)ご一読いただければ幸いです。

 そよ風の休日
(ある洋食屋の風景 menu1 チーズケーキ)
 私はしがない洋食屋のオヤジ。この街の片隅でせっせとひたすらに料理を作り続けてそろそろ10年が経とうとしている。出来合いものは、ほとんど使わず、料理から、パン、デザートまで自分で作らなければ気がすまない頑固で不器用な料理人だ。

 今日も忙しいランチをこなし、短い休憩を挟んでディナータイムを迎えた。私の店は立地的に平日の夜はさほど忙しく無い。翌日のランチの準備をしながらお客さんの来店を待っている事が常だ。
「カランコロン♪」ドアを開けて入ってきたのは私がホテルに勤務していた時の後輩夫妻だった。
「先輩、お久しぶりっす!」
「ご無沙汰してます」
「おや、珍しいわねえ二人揃って。一緒に休みがとれたの?」私の妻も同じホテルで働いていたので夫婦揃っての顔見知りだ。

 彼は私が在籍していた職場で働いている元部下。彼女は同じホテル内の「ペストリー」というお菓子を作る部署のパティシエとして働いている。二人が付き合うキッカケを作ったのが私達夫婦だったのだ。
「久しぶりに一緒に休みがとれたのに俺達ダメっすね、遊び方を知らないって言うか、趣味が無いって言うか。公園のベンチに二人でボーっと座っていたらもう夕方ですよ。でもね先輩、今日は風がやさしくってとっても気持ちが良かったんですよ。だからなかなか動けなくって……」
「いいじゃねえか、今日みたいに天気がいい日に二人でノンビリ出来て。贅沢な時間の過ごし方だよ」彼のとなりで彼女が屈託の無い笑顔で頷いている。
 私は彼女のこの笑顔が大好きで、可愛がっていた後輩とのキューピット役を買って出たのだった。

 私達夫婦は店を始めてから昔の仲間達とすっかり疎遠になってしまったが、彼らだけは時たま顔を出して元職場の情報をいろいろ教えてくれる。
「みんな元気にやってるか?怒ってる連中も居るんだろうな、黙って店を始めてとんとご無沙汰だからな」
「確かにあまり面白く思っていない人も居るみたいですけどね、気にする事ないっすよ。解っている人は解っていますから」調理場は一つのファミリーのような物だ。そこを辞めたからといって付き合いが終わるわけではない。誰かが店を始めるとなると無償で手伝いに出向いたり、仲間を引き連れてお祝いに駆けつけたりする事が当たり前なのだ。しかし、私達夫婦の店は急に出店の話が持ち上がり、昔の仲間と連絡を取り合う時間と気持ちの余裕が全く無かった。
 たまには電話でもと思いながらも日々の仕事に追われズルズルと十年が過ぎてしまった。しかし私も歳を重ねてきたせいか、昔を思い出す事が多く無性にその頃の仲間に会いたくなる事がある……
 そんな私の気持ちを察してか、この後輩夫婦がホテルの仲間を何人か連れてくる計画を練っているらしい。
「先輩、覚悟しておいてくださいよ!大御所も呼んでありますから」
「えっ、大御所まで来てくれるの?説教されるんだろうな、いろいろと……だけどまあ皆に会えるんだ。楽しみにしているよ」

 食後のデザートを食べながら彼女の表情が一瞬止まった。
「先輩、このチーズケーキのレシピ、変えました?」さすがパティシエの彼女だ。ホテルのレシピを微妙にアレンジしている事に早速気が付いたようだ。
「うん、ちょこっとだけメレンゲを増やしてみたんだ。クリームチーズのコクと風味はそのままにして全体をもうちょっと軽くしたかったんだ。結構いい感じだろ」彼女の口にはこちらの方が合っている様だ。
「レシピ、教えて下さいよ!今度作ってペストリー長に試食してもらおう」
「ダメダメ、企業秘密だからそんなに簡単には教えられないよ。この店を閉める時か、お前達が店を出す時には教えてあげてもいいけどね」冗談半分の私の答えに二人は顔を見合わせながら照れくさそうに笑っている。
「先輩、俺達が店を出すのは相当先になりそうです。その前に子育てをしなきゃいけないんで……」なかなか子宝に恵まれない二人に私達夫婦は気を揉んでいたのだが思いがけない形での報告だった。
「なんだ、そんなにめでたい話ならもったいぶらずに早く話せば良いのに!そうか、それは良かったな。おめでとう!それじゃあ当分の間、このチーズケーキは当店の独占販売だな」嬉しい報告もあったし、今日は和やかな気分で一日を締めくくれそうだ。

「ねえ今度の定休日は私達も近所の公園にでも行ってノンビリしましょうよ」
「そうだな、いつも忙しい思いをしているだけじゃ、つまらないものな」

 やさしいそよ風を頬に感じながらゆったりと時の流れに身をゆだねる。そんな休日もたまにはいいか……



                                     fin 2008.7

 
おいしいスープの作り方
(ある洋食屋の風景 menu2 ミネストローネ)
 その洋食屋にはカウンター席がありワイン等を飲みながら店のオヤジさん、奥さんとの会話を楽しみに来るお客も少なくない。
「おいおい、また夫婦喧嘩か?こんなところで油を売ってないでさっさと家に帰って奥さんに謝っちまえば?」
「謝っちまえばって、おやっさんは最初から俺が悪いって決め付けてんだから!」
 その常連客は週に一、二度仕事帰りにフラッと寄ってはワインとつまみを楽しむ。結婚三年めの彼は奥さんとそりが合わないとよくオヤジさんにこぼしている。
「付き合っている頃は可愛くてね、あんまり細かい事は言わないし。おおらかで、いい嫁さんになると思ったんですけどね。結婚した途端にあーでもない、こーでもない、って俺のすることに文句ばかり付けるんですよ。その癖、自分はわがままな事ばっかり主張しやがって……オヤジさんと奥さんは結婚して何年ぐらいですか?喧嘩とかするの?」
「私たちは結婚してもうすぐ二十年よ。我ながら、よく続いてると思うわよ。血液型だって私がAで旦那がBだもん、最悪の相性なんだけどね」奥さんは笑顔で結婚生活は我慢よなんて言いながら彼にワインを注いでいる。
「ふたりでお店をやっているって事は二十四時間一緒ですもんね。すごいなー、俺には考えられない」彼は少しアルコールがまわってきたようだ。

 彼はまだ自分の奥さんをこの店に連れてきた事は無い。「ココは俺の隠れ家だから、ひとりで楽しみたいんですよ」たまには奥さんも連れておいでよとオヤジさんに言われても彼はそう答えるのだった。
「明日は早いんだろ。とっておきの美味しいスープをご馳走するから、今日はそれを閉めにしたら?」もうすぐ三月とは言えまだまだ外は寒い。オヤジさんは冬場によく作る具沢山のスープを彼に供した。
「シェフ、これ美味しいですね! なんて言うスープなんですか?」この店に来る様になるまではあまり洋食を口にする機会が無かった彼は、料理に関しての質問や会話ではオヤジさんをシェフと呼ぶのが彼なりの礼儀と考えているようだ。
「ミネストローネって言うんだけどね、イタリア語で具沢山って言う意味らしいよ」 ベーコン、玉ねぎ、人参、カブ、キャベツ、ポテト等をトマトベースのスープでジックリ煮込む、イタリアでは家庭的なスープ料理だ。
「特に細かいレシピは無いんだよこのスープ。店やシェフによって入る具には個性があるんだ」気の短いオヤジさんだけど、ジックリ時間を掛けて作るスープや煮込み料理を得意にしている。

「おもしろいと思わないか? 個々の素材だけでは有り得ない味が一緒に時間を掛けてひたすらコトコト煮込むとこんなに深い味わいになるんだよ。時間が無いからって強火でガーってやっちゃうと雑な味になるしね」
「夫婦の関係も一緒じゃないの。ジックリ時間を掛けて付き合えば良い味わいが出てくるんじゃないのかしら、強火でガーはダメよ」
 オヤジさんと奥さんにそんな事を言われ、彼は黙ってスープの皿を見つめ、そしてジックリと味わっている。
「それともう一つ、スープはね、笑って作ると美味しく出来るんだってさ。そんな事ある訳無いけど、優しい気持ちで食べてもらう人の笑顔を思いながら作りなさいって事だろうね」酔いも醒めたのだろうか、彼に笑顔が消えていた……

「今日は私達調子に乗ってチョッとお説教じみちゃってごめんなさいね」
「え?いやいや、スープご馳走様でした……」急に口数が少なくなってしまった彼はとぼとぼと家路について行った。
「気を悪くさせちまったかなあ……」
「そうね、あの夫婦の事情も知らないのに私達、勝手な事ばかり言っちゃたもんね……」次の週に一度も訪れなかった彼。ふたりは少し落ち込んでいた。

 週末の夜はいつもより忙しい。その日の土曜日もテーブル席が後ひとつしか空いていなかった。「カランコロン♪」と音をたててドアが開くと例の彼が入ってきた。
「今日はふたりなんですけど、テーブル席空いてますか?」彼の後ろにはチョッとお洒落をした、かわいらしい女性が立っている。
「ちょうどひとつだけ空きテーブルが有りますよ。さあ、どうぞどうぞ」奥さんに案内されてふたりが席につくと、オヤジさんも忙しい手を休めて彼らに会釈する。
「はじめて連れて来ました、僕の妻です。たまには主婦業もお休みして二人でディナーでも楽しもうと思いまして……」
「いつも主人がお世話になっているようで、有難うございます」照れくさそうに奥さんを紹介している彼。オヤジさんがカウンター越しに笑顔で声を掛ける。
「オーダーは、まずミネストローネでよろしいですか?」
「はい、お願いします!」ふたりは声を合わせて答え、お互いを見て微笑んだ。



                                       fin 2008.3



あなたのために
(ある洋食屋の風景 menu3ハンバーグ)
「いや、僕、本当にダメなんですよ肉は。勘弁してください……」
「こんなに美味いステーキを食えないなんて、何て罰当たりな奴なんだ!男はな、肉食ってパワーをつけていい仕事をバリバリやらなきゃあダメなんだよ!」
 友達の披露宴で初めて見たあなたはお酒のまわった上司にからまれ、とっても困った、何とも情けない顔をしていました。
 2次会のパーティーでは、もう出来上がっている他の人たちから外れてバイキングのお料理につきっきりのあなた。
 あれ?ハンバーグやミートローフを美味しそうに頬張っている。私は思わずあなたに声を掛けてしまいました。
「あのー、お肉ダメなんじゃなかったんですか?」
「あっ、見られてましたか?いや、恥ずかしいんですけど、肉は挽肉以外は全然ダメなんですよ。ハンバーグは大好きなんですけど」
 仲のいい友達は先に帰ってしまった私。あなたと一緒にお料理を頂く事にしました。
「酒ばっかり飲んでいて、こんなに美味しい料理を食わないなんて何て罰当たりな奴らなんだ!そうですよね?」ほのぼのとしたあなたの人柄はノンビリやさんの私と妙に波長が合い、それからあなたと私のお付き合いが始まりました。

 初めてのデートではハンバーグが美味しい行き付けの洋食屋さんに連れて行ってくれましたね。あなたのアパートの近所にある夫婦2人で営んでいる小さなお店。
「すみません、僕、あまり女性とお付き合いした経験が無いもので。こんなお店にしか連れて来れなくて……」
「おいおい、こんな店で悪かったな!しかし、君が女の子を連れてきてくれるなんて思ってもいなかったヨ。今日は大サービスだ!」
 口は悪いけど気の良さそうなご主人にあなたは気に入られている様子。帰り際には「こんな奴ですけど宜しくお願いしますね」何て言われてしまいました。
 2人はデートの度に、いろいろなハンバーグの美味しいお店に行きましたね。
「ココのハンバーグのデミグラスソースはコクがあって絶品なんだよ」
「ココはね和風の美味しいハンバーグがあるんだよ」ハンバーグを食べている時、ハンバーグについて語っている時のあなたは本当に幸せそうです。

 今日は出逢ってから3度目のあなたの誕生日。「たまにはお洒落をして出かけましょうよ」と私がホテルのレストランに誘っても乗り気じゃないあなた。
「いや、いつもの洋食屋がいいよ。堅苦しいのは苦手だし、今日は落着いて君と話がしたいんだ」「話ならいつもしてるじゃない。でもあのお店がいいんならそうしましょう」
 いつものようににジューシーに焼き上がったハンバーグの香りに包まれる幸せな美味しい時間。私にとってもこのお店はとても落着ける場所になってきたみたい。
 でも、大好物のハンバーグを目の前にあなたの様子がいつもと違う。何だか落着きがない……
「どうしたの? 何か気になる事でもあるの?」
「いや、そうじゃないんだ……」お店のご主人が心配そうにこちらをチラチラ見ているし、あなたもご主人の方をチラチラ見ている。
 そして意を決したように唐突に切り出されました。
「僕の為にハンバーグを作ってください。これから先、ずーっと!」え?それはあなたのプロポーズなの?いきなりでチョッと面食らったけど、あなたの言葉を待っていた私の心も決まっていました。
「は、はい!こちらこそよろしくです! 実はね、あなたに作ってあげようと本を買い込んで美味しいハンバーグの作り方を勉強していたんだよ」あなたは満面の笑顔でお店のご主人と奥さんに報告している。

「おめでとう!君達はお似合いのカップルだよ! 実はこいつね、プロポーズの言葉はなんて言えばいいんですか、なんて俺たちに聞くんだよ。だからね、結婚したら彼女に一番してもらいたい事をお願いしてみたらって言ったんだよ」プロポーズの言葉を相談するなんて本当にあなたらしい。

 でもお料理が苦手な私です、ハンバーグもまだ上手に作れません。私の腕が上がるまでは当分こちらのお世話になりましょうね。


                                     fin 2008.2


おいしいスープの作り方2
(ある洋食屋の風景 menu4 ヴィシソワーズ)
 この街を訪れるのはかれこれ十年ぶりだろうか。当時勤めていた会社の社宅に住んでいた私達家族は足掛け三年程をこの街で過ごした。駅からは遠く、商店も近くに無い。生活環境が決して良いという地ではなかったけれど同じ様な年恰好の子供達がたくさん居たのでとても賑やかで楽しい日々を過ごした街だ。

 十年と言う月日は街の様子を随分変えていた。当時社宅に住んでいた人たちも殆どこの地を離れているようだ。見たところ社宅自体はそれ程変わっていないが何となく雰囲気があの頃と違うのは何故なんだろう?

 今日はひさしぶりに丸一日フリーのオフだ、ゆっくり思い出のこの街を散策しよう。子供達が通っていた小学校や幼稚園などを訪ねたり、草野球で汗を流したグラウンドに行ってみたり、時間を忘れてあちらこちらと歩き回った。ふと腕時計を見るともうすぐ午後一時になるじゃないか。なんとなく少し腹がすいてきた。
「そうだ、あの店に行ってみよう」私は当時オープンしたばかりの洋食屋の事を思い出した。二十席程の小さなその店は大通りから一本入った場所で今もひっそりと営業していた。
「カランコロン♪」とドアを鳴らして中に入るとランチを楽しむ女性達で結構賑わっている。
「一人なんですけどよろしいですか……」
「どうぞこちらのカウンターに」お店の奥さんにカウンターの隅の席を勧められて座り、周りを見回す。内装も手入が行き届いている店内も当時のままだ。「近くに素敵な洋食屋さんが出来てよかったね」あの頃家族で喜んだのもつかの間の転勤だった。
「あ、おひさしぶりですねお客さん。あまりお変わりになりませんね」カウンター越しにオヤジさんに声をかけられた。
「え?私の事を覚えていらっしゃるんですか?これは嬉しいなあ」オヤジさんは十年ぶりに来店した私の顔を忘れていなかった。
「ええ、オープン当時のお客様は特に印象が深いんですよ。確かそちらの社宅に住んでいらした方ですよね」
 夫婦の人柄がお客さんを惹き付けているのだろう、なんとも温かいくつろげる雰囲気が店を包んでいる。

「実はねオヤジさん、私はあれから会社を辞めて起業したんですよ。家族にも随分迷惑と苦労をかけてきました。数年前からやっと軌道に乗ってきたんですけどね、ココのところの不景気で最近チョッと行き詰まっているんですよ。気分転換にと思って昔住んでいたこの地を訪れてみたんです」
「そうですか、どんな仕事も楽じゃないですよね。不景気はうちも例外じゃ有りませんよ。でも私に出来ることはお客さんに喜んでもらえる料理を一生懸命作るだけです。キレイ事を言う訳じゃないけどそれが全てだと思っています。そうそう、今日はチョッと汗ばむので冷たいスープを作ったんですよ。こちらはサービスいたしますから召し上がってみてくださいな」そう言われて供されたのはポテトの冷たいスープ「ヴィシソワーズ」だった。
 玉ねぎとポテトのクリ―ミーでなめらかなその冷たいスープは私達が最後に来店した時に頂いた物だった。
「オヤジさん、もしかしてそこまで覚えていらっしゃるんですか?私はあの時、じゃが芋と玉ねぎでこんなに美味しいスープが出来るのかって感激したんですよ。ああ、そうだ、この味この味!あの時と一緒だ!」喉を過ぎてゆくあの感覚が蘇えってきた。家族皆でため息が出るくらいホッとした優しい味だ。
「あれは三月だと言うのにとっても暑い日でしたよね。お引越しで汗をたくさんかいただろうし、疲れているようだからと思ってお出ししたのを覚えていますよ」
 引越しの片付けの後、汗だくになってクタクタで来店した時にオヤジさんが何も言わず供してくれたあのヴィシソワーズ。こちらからオーダーした訳ではない。

 私は家族を守る為、会社を維持する為にと必死に働いてきたつもりだが肝心なことを忘れていたのかもしれない……会社のことばかり考えて取引先に対する心配りを置き去りにしていた事をこのヴィシソワーズが気づかせてくれた。

「オヤジさん、なつかしのヴィシソワーズをご馳走様でした。今日はこちらに伺って本当に良かった!とても有意義なランチでした。いつになるか分らないけれど必ず家族を連れてまた来ます!」
「ええ、お待ちしてますよ。それまで私も頑張って頑固に洋食作ってますから」
 気が付けば他のお客はもう誰も居ない。私が最後になってしまったようだ。もう少し街を散策するつもりだったが居ても立っても居られない、早く会社に帰ってプランを練り直そう。店をあとにして私は車に乗り込んだ。


                                     fin 2008.6


おいしいスープの作り方3
(ある洋食屋の風景 menu5 ガスパッチョ)
「おはようシェフ!またいっぱい出来ちゃったからさ、これ使って」家庭菜園を趣味にしている私は収穫が多いとき、その洋食屋へ色々な野菜をおすそ分けする。
「いいトマトとキュウリですね。このまま食べても美味しそうだ!いつもすみません」
「なに、シェフがマジックをかけたらもっと美味しいものが出来るんだろう。楽しみにしているよ」

 シェフと私は単なる客と店主の仲ではない。飲み仲間であり、カラオケ仲間、自転車仲間でもある。定年を迎え、リタイヤした私に運動不足解消にと自転車を薦めてくれたのはシェフだった。「この歳でそんなにスポーティーな自転車に乗るのはチョッと怖いよ」尻込みする私だったが「大丈夫。自分のペースで無理せず走れば良いんです。気持ちいいですよ、一緒に走りましょう!」その後すっかり自転車の虜になってしまった私はシェフの休日に揃ってツーリングに出掛けるのが一番の楽しみであった。
 シェフが自転車を薦めてくれたのは運動不足解消の為だけではない。夫婦二人で定年後の第二の人生を楽しもうと思った矢先、突然妻に先立たれてしまった私を気づかってくれたのだ。自分では気丈に振舞っているつもりではあったが、端から見ればかなり肩を落としている様に映っていたのだろう。

 仕事人間で無趣味な私は定年後をどう過ごそうか、子供達も巣立ってしまい夫婦で毎日何をすればよいのだろうと思っていた。妻は以前から興味を持っていた家庭菜園をいっしょにやろうと提案してきた。季節ごとに二人で野菜を作り、収穫した物を食卓に並べて頂く。それは彼女の夢だったようだ。
 最初のうちはなかなか思うような収穫は獲られなかったのだが、それでも妻は楽しそうだった。あんなに楽しそうな妻を見るのは初めてで、仕事にかこつけて一緒に過ごす時間を作らなかった自分をその時に私は悔いた。
 やっと少しづつまともな野菜が作れるようになりシェフにおすそ分け出来始めた頃、病魔が妻を襲い、あっという間に私から奪い取ってしまった……
「私に野菜を持ってきてくれるときの奥さんはとっても嬉しそうでしたよね。新鮮でしかも無農薬だからとっても美味しくて、無駄にせず色んな野菜料理に挑戦できて私もレパートリーが増えましたよ。感謝しています」
 妻はシェフの作る季節感溢れる料理が好きで、友達などと連れ立ってよくランチにも伺っていたようだ。

「シェフ、明日の休みは走れるの?仕込みが忙しいんなら無理するなよ」
「いえ、明日は午前中にケーキを焼くぐらいだから午後から走りましょう。もう大分暑くなってきたから夕方近くからの方がいいと思いますよ。無理は大敵です」

 シェフの忠告通り翌日は夕方近くから近場を軽く流して走った。しかし八月の声が近くなった今の季節は夕方でもかなり汗をかく。水分補給はしているのだが走り終わった後にはかなり喉が渇いているのだ。ツーリングのあとは決まってシェフの店に帰り何よりも先に美味いビールを頂く。二人ともその楽しみの為に走っているようなものだ。
 しかし今日はビールより先に違った物が用意されていた。よく冷えたガラスの器に真っ赤な液体が注がれている。
「今日はこれを先に頂きましょうよ。昨日のトマトとキュウリで作った冷たいスープ『ガスパッチョ』です。汗をかいたあとにこれを飲むと生き返りますよ!」
「ほー、ガスパッチョか。初めてかな、これ頂くの」好き嫌いが無い私だが何故か冷たいスープはあまり好みではない。
 しかし、口に含んだとたんに身体中の力が抜けるようだった!
「こんなに美味い冷製スープ、初めて飲んだよ!あのトマトとキュウリでこんなに美味いスープが出来るのか。まさにシェフのマジックだな!」
「頂いたトマト、キュウリ、それと玉ねぎ、ピーマン、にんにくとオリーブオイルを加えてミキサーで粉砕するんです。まあ、野菜ジュースと言っちゃあそれまでですがね」
 そして添えられているバケットとチーズがいい。バケットはスープに浸して食べると美味いし、チーズはその塩気がスープと良く合う。
「シェフ、悪いんだけど今日はワインが欲しいね!」
「そう言うと思って、もう用意して有りますよ。赤か白か迷ったのでロゼのスパークリングにしました」

 ひとしきり飲んだあと私は妻の事を思い出していた。彼女はこの美味しいスープを味わったことが有るのだろうか?少なくとも私と一緒にはないと思う。
「なあシェフ、うちのやつはこのスープの美味しさを知っていたのかな?」シェフがその答えをあっさり出してくれた。
「ええ、うちの店で召し上がってますよ。かなりの好物だったようですね。夏場は予約注文されるぐらいでした。でも奥さん、おっしゃってました『うちの主人は冷たいスープが苦手なのよねえ。だから一緒の時はあまり頂かないの』って」
「そうか、そんなにこのスープが好きだったのか。あいつは自分の好みを押し付けるような奴じゃあ無かったからなあ……」

 長年連れ添った夫婦でも彼女の全てを知っているとは思っていない。しかし、私の知らない妻がここにも居たのだ……
 自分の好物のスープを予約注文して、友達とお喋りでもしながら味わっていたのだろう。こんな私に気を使いながら、彼女も彼女なりに自分の人生をささやかに楽しんでいたのだ。

 妻に苦労ばかりかけていた私。少しだけ、ほんの少しだけだが心に抱えていた荷物が軽くなった思いだった……


                              fin 2008.7




まちぼうけ
(ある洋食屋の風景 menu6 オムライス)
「ねえ、ちょっと、ちゃんと聞いてる?!」
「あ・ああ、えーと、何の話だっけ?」
「もう、しょうがないなあ」僕らは行きつけの洋食屋で、注文したオムライスが出来上がるのを待っていた。彼女は見てきたばかりの映画の話に夢中だけど僕はふたつ隣りの席が気になって仕方がない。彼女の話も上の空でどうしてもチラチラ見てしまう。
 そこに座っているのは二十歳くらいのチョッと可愛い僕好みの女の子。この店でははじめて見る顔だ。彼氏との待ち合わせだろうか、ひとりで寂しそうに持参したグルメ雑誌を見ている。

 小さなその洋食屋のオムライスはいろいろな雑誌で紹介されるほどの人気メニューで来店客の半分はオーダーするそうだ。その子が持っているグルメ雑誌にも載っているのでそれを見てオムライスを食べに来たんだろう。
「すみません、もうすぐ来ると思うんですけど。携帯に連絡を入れてもなかなか捕まらなくって……」
「いいですよ、空きテーブルもありますし、気になさらないで下さいね」申し訳なさそうに何度も謝るその子にお店のオヤジさんも奥さんもさりげなく気を使う。

 今日はちょっと混んでいるので時間が掛かったけど、僕達のテーブルにもオムライスが運ばれてきた。
「うーん、やっぱりココのオムライスのデミグラスソースは絶品だよね!」
「他の料理も食べてみようと思うんだけど、やっぱりこれを注文しちゃうね!」2人で舌鼓を打ちながらチラッとその子を見ると、僕のオムライスに目が釘づけだ。僕は何だか気まずくなって、その後は黙々と食べる事に専念した。

「ねえ、あの子あんたの好みでしょ! チラチラ見ちゃってさ」大満足で店を後にすると早速彼女に突っ込まれる。
「え?まあ、好みって言えば好みだけど、それより僕のオムライスをジーっと見てるんだよ。よっぽど好きなんだね。オムライス好きには絶対にあの店のオムライスは食べてほしいなあ」

 あれからちょうど1週間。僕達はデートの後にまたこの店へ来た。
「ねえオヤジさん、この前僕達が来た時にいた可愛い女の子、結局連れは来たの?」
「ああ、あの子ね、閉店まで待ってたんだけど来なかったんだよ。急に仕事が入ったらしく閉店間際にやっと連絡がついたんだ。お腹もすいただろうし『オムライス1人前ご用意しましょうか』って聞いたらね、何て言ったと思う?」僕の彼女も興味があるようで「何て言ったんですか?」なんて聞いている。
「どうしても彼と2人で食べたいから今日は我慢するって言ってさ、コーヒーとケーキで帰ったんだよ」
「何てけなげな子なんだ!僕達だったら有り得ないよね」
「うーん、そうだね!私だったら一人でさっさと食べて帰っちゃう」今日はお店もちょっと暇そうだからオヤジさんも僕達とそんな話をする余裕があるみたいだ。僕と彼女は一応メニューを隅々までチェックして、いろいろ迷った末、結局は今日もオムライス。

「ねえねえ、奥の窓際の男の子、めっちゃカッコいいんだけど!何の仕事してるんだろう?」僕もさりげなくそちらを見る。なるほど、なかなかカッコいい爽やかな男の子がひとりで雑誌に目を落としている。
「すみません、連れが一人もうすぐ来ますのでオムライスを2つ作ってください」彼がお店の奥さんに注文をしたその時にドアが「カランコロン♪」と音を立てて開いた。
「おまたせー!」満面の笑顔で入ってきたのはそう、あのときの、まちぼうけをくっていたあの子だった。


                      
       fin 2008.2



あの街から
(ある洋食屋の風景 menu7 ロースカツ定食)
 彼は二十五年ぶりにその街を訪れた。料理人の彼が初めて勤めた洋食レストランが有った街、青春という時代を過ごした思い入れの強い街だ。見習いの頃は何もかもが初めての経験で戸惑う事ばかりだったが、きつい仕事ながら充実した毎日だった。
 いろいろな人々と出会い、恋をし、悲しい別れや挫折も幾つか経験した。実家に戻る事になり五年でその街を後にする時に彼は思った。「またいつかこの街で暮らしたい。俺の料理人としての原点の大好きなこの街で」思い入れだけではない、不思議と肌が合う街だった。

 小さな街場のレストランや高級ホテルのフレンチレストラン、巨大ホテルの宴会調理など、彼はその後も様々な調理場で腕を磨いた。しかし、キャリアが二十年に達しようとした時に彼はあっさりと当時勤めていたホテルを辞めて実家に程近い場所で妻と小さな洋食屋を開いた。自分の作りたい料理をストレートにアピールできる独立開店と言う道を選んだのだ。
 それからの十年はあっという間だった。料理の他にパンやデザートまでを全て一人で作るために休む間もなく働いた。気が付けば最初の店で料理人のスタートをきってから三十年の時が流れていた。

 彼は数年前からまたあの街に行ってみたいと思うようになっていた。あの街はどの様に変わっているのだろうか。そして今、そこに自分が身を置いたら何を感じ、何を思うのだろうか……しかし毎日の仕事に追われ、なかなか時間の都合がつかず、少しずつ遠い存在の街になるばかりだった……

 開店十周年のイベントは常連のお客さんや、お世話になった人達を招待し、定休日返上で盛大に行なわれた。そして翌週の定休日の前日を振替休日にあて、二連休をとる事になった。お盆とお正月以外では滅多に取れない連休、彼は思い切ってあの街を訪れようと考えたったのだ。

 駅に降立ち、商店街を歩いてみる。彼が勤めていたレストランが無くなったことは風の便りには聞いていたが、二十五年と言う年月が街の様子を随分変えていた。人口もかなり増えたのだろう、当時はあまり無かったいろいろな種類の飲食店が軒を連ねていた。姿を消した店もあるが今でも頑張っている店も何件かあった。

 彼が贔屓にしていたトンカツ屋もまだ残っていた。キャベツとライスがお替り自由だったのが安月給の身には有り難く、休日にはちょくちょく通っていた店だ。
 当時、その店には彼と同じ様な見習いが一人働いていた。その男とは仕入先などで時たま一緒になり、おたがいが同業者である事は分かっていた。切っ掛けが掴めずに、一度も言葉を交わすことは無かったが自分と同じ見習い料理人に親近感を持って彼を見ていた。
「そう言えば、あいつは今頃どうしているのだろう……」彼はここに来るまで忘れていたあの男の事をチラッと思い出していた。

 昼飯を食っていなかった事もあり、懐かしさからその店の暖簾をくぐってみた。さすがに改装や手入れはしているのだろう、昔とはかなり趣が変わった店内の印象だがキャベツとライスのお替り自由は続けているようだ。メニューには別段変り種が無い、カウンターだけの普通のトンカツ屋だ。彼はロースカツ定食とビールを注文した。カツが揚がるまでお新香をつまみにビールで喉を潤す。もうランチタイムのピークは過ぎているのだろう、客は彼一人だった。
 程なくすると油の香ばしい香りと、もうすぐ揚げあがるサインのパチパチと小気味の良い音が聞こえてきた。
「はい、お待ちどうさま!」カウンター越しに店主と思しき男から揚げたてのカツを受け取る。
 皿からはみ出しそうなタップリの千切りキャベツ、ほんのりとピンクがかったカツの切り身からはジューシーな肉汁が滴る。からしとほんの少しのソースをつけて食べると絶妙な揚げ加減のカツに思わず頬が緩む。カウンター越しの店主は彼を見ながら何故か笑みを浮かべ、ビールを一本差し出した。
「お客さん、これサービス。私も一杯頂きますから乾杯しましょうよ、再会を祝して!」
「えっ?再会?」彼は少しの間、何の事か理解できなかったが、帽子を脱いだ店主の顔をよく見てようやく気が付いた。
「もしかしたらあの時の見習いさん?このお店のご主人になられたんですか」
「ええ、十年前に先代からこの店の権利を引き継いで、細々とやってますよ。そちらは今、どうなさっているんですか?」
「私は実家の近くで小さな洋食屋をやってます。同じく十年ですよ。滅多に取れない連休が取れたので懐かしいこの街に来てみたんです。キャリア三十周年記念ってところですかね」
「何だか切っ掛けが掴めなくって、お宅とはお話の一つも出来なかったけど、同じ歳くらいの見習いさんだと感じていたので、気になる存在として意識していたんですよ。そう、三十年ですよね私達。あの頃はきつかったけど毎日が充実して楽しかったなあ。」
 ほとんど知らなかったお互いの事を話していると、妙に共通点があったり、似たような考えを持っている二人、話は尽きなかった。
「何時とは約束出来ないけれど、お宅の洋食屋さんにも必ず伺いますよ!」

 歩いてきた道は違うが、同じ時代を一途に料理人として生きてきた二人。三十年もの間、彼らを奇妙な友情が結びつけていたのかもしれない。


                     
fin  2008.7


夕立
(ある洋食屋の風景 menu8 ラタトゥイユとカルパッチョの丼)
 レストランには様々な人がお料理を楽しみに足を運びますが今日はひとつ、当レストランにまつわる(お客さんではない)一組のカップルのお話をしましょう。

 私とシェフである主人がふたりで切り盛りするこの洋食屋は大通りから一本入った場所にある小さなお店です。ランチタイムが終わりディナーの営業までの間に食事と休憩を取るのですが、出入りの業者さんたちが注文の品を配達してきたり、予約のお電話の対応にとあまり落着かない日も多々あります。
 その日も忙しいランチタイムを終え、さあ食事という所でコーヒー屋さんの配達が来ました。そのコーヒー屋さんの配達兼営業の彼は背の高いなかなかのイケメンで好青年なんです。うちの主人も一生懸命仕事に取り組む彼を気に入っている様で何かと目をかけてあげています。
「こんにちは!遅くなりましたがご注文のお品をお届けにあがりました。あっ、これからお食事ですか、すみませんタイミング悪くて……」九月に入ってもまだ暑い日が続きYシャツも汗でびっしょりの彼、忙しかったのかいつもの時間よりチョッと遅い到着でした。
「おい、昼飯食ったのか?俺達これから賄いなんだけど一緒にどうだ!ありあわせの丼物だ、金よこせなんていわねえから遠慮しないで食っていけよ」「え、いいんですか?実はもうハラペコなんですよ!今日は件数が多くて昼飯食いそびれたので助かります。このあとはもう配達が無いので遠慮なく頂きま〜す!」

 いつもは主人とふたりでカウンターに並んで頂く賄いにその日は真ん中に彼を挟んで三人で頂く事になりました。食べもの商売の人たちって食べるのが速いんです。主人と一緒になった頃には食べる速さにそれはもうビックリ!しかし、彼も負けてはいませんでした。
「おい、もうチョッとゆっくり味わって食えよ。デートの時にそんな食い方をしていたら彼女に嫌われるぞ」なんて主人にたしなめられる始末でした。「デートする彼女なんか居ませんよ、仕事漬けの毎日ですもん。それにしてもメチャクチャ美味しいですねこれ!毎日こんなに美味い賄いが食えて奥さんは幸せですねえ。ところでご飯の上にのっているこのナスとピーマンなんかが入っている煮込みは何ですか?トマトの味がして洋風なんだけどご飯に合いますね!その上にのっているお刺身サーモンもいい!こんなに美味い丼、初めてですよ」「その野菜の煮込みはラタトゥイユって言うフランス風の野菜の煮込みさ。玉ねぎ、ナス、ピーマン、ズッキーニ、トマトを野菜の水分だけでジックリ煮こむんだよ。冷たくても温めても美味いんだ。意外とご飯にも合うし、カルパッチョのような生食の魚と組み合わせればリッパな丼だろ」

「いやー実に美味かった!充実の昼飯をどうもご馳走様でした。さっきまで凄い日差しだったのに外がどんよりと暗くなって来ましたね。ひと雨降るんですかね」窓の外を見ながら彼がそんな事を言っているうちに物凄い雨が降ってきた。
「あれ?誰かドアの外に立っているようですけど……」見るとちょっとした軒下のようになっているドアの外に服と髪を濡らした女の子が雨宿りをしていました。
「そんなところに立っていないで中へどうぞ、今は休憩中ですから遠慮せずにさあ」私が声をかけたその女の子は申し訳なさそうに何度も頭を下げ、貸してあげたタオルで濡れた髪を拭き「本当にありがとうございます。駅まで行こうと思ったら急に降られちゃって、助かりました。今度、必ずお食事に伺います」なんて言ってくれました。あらためて顔を見ると可愛らしい女の子です。コーヒー屋の彼もチラチラ彼女を見て意識している様子。
「そうだ、おい、お前これから駅前の店に配達じゃなかったの?彼女を送ってあげなさいよ!きたねえ車だけどさあ、まだまだやみそうにないもんな、雨。そうだ、そうしろ」
「え?今日はもう……あ・はい!きたない車ですが、よ・よかったらどうぞ」
 半ば強制的に彼らを送り出すときに主人たら彼にウインクで「がんばれよ!」のサイン。

 偶然が重なる事、それは実のところ必然なのかもしれません。彼が配達を遅れて私達と一緒にご飯を食べる事なんて滅多にある事じゃないし、聞くと彼女も普段はあまり通らない道を歩いていたら急な雨に降られたらしいんです。彼らは出会うべくして出会ったとしか思えません。
 良縁は何処に転がっているものかわらないものですね。あの夕立がキッカケで彼らはお付き合いを始めて今はしあわせな結婚生活を送っているそうです。
 めでたしめでたし!

                                     fin 2008.9

おいしいスープの作り方4
(ある洋食屋の風景 menu9 キノコとサツマイモのポタージュ)
「こんばんわー!遅くなっちゃいましたけどまだいいですかね?オヤジさん」
「おお、チャリンコ屋か。入れ入れ!」
 その洋食屋の近くには小さな自転車屋がある。もうすぐ三十歳に手が届きそうな男が一人で切り盛りしている小さな店だ。サラリーマンだった彼は自転車好きが高じて会社をやめ、自転車整備の技術を身に付け独立したのだ。独身者ゆえ昼と無く夜と無くその洋食屋を訪れる。

「スープとサラダだけでもいいですか?」
「何だ、またレース前のトレーニング中って訳か。儲からねえ客だけどしょうがねえなあ」
「オヤジさんだって俺にとっては儲からない客ですよ。パンクかブレーキ修理ばっかりじゃないですか。だいたいあの自転車、何年乗ってるの?そろそろ新車に乗り換えましょうよ。サービスしますから」
 歳は離れているのだが何故かウマが合う二人、歯に衣着せぬ間柄だ。

「ところでオヤジさん、今日のスープは何ですか?出来たらバターとクリームはなるべく使わないようにしてもらえます?あと、サラダはノードレッシングでお願いします」
「今日はサツマイモとキノコのポタージュだ。クリーム、バターを使わなくても素材の味だけで十分コクと旨味のあるスープだからもってこいだよこれは。今年の秋の新作だ」実はオヤジさんにとってこのスープは初めてトライした新作なのだが自身も驚くほど上手くいった自信作だ。
「キノコのポタージュとかサツマイモのポタージュって前にも頂きましたよね?それが一緒になったって感じですか?あんまり想像つかない味だなあ……」
 ほどなくすると彼の前にアツアツのスープが供される。鼻腔をくすぐるキノコの香りがそれだけで彼を笑顔にしてしまう。口にすると更に笑顔がひろがった!
「うーん、これは初めて味わう美味しさですね確かに。キノコはマッシュルームと舞茸ですか?サツマイモの甘味とメチャメチャ相性がいいですね!なんてたってクリームとバターを使ってないのがいい!しばらくはこのスープ続けてくださいよ」
 彼は何ヶ月かに一度、ロードレースに出場する事があり、本番の2週間ぐらい前から減量とトレーニングに取り掛かる。その間、夜の食事はその洋食屋のサラダとスープと決めているのだ。

「なあチャリンコ屋、レースもいいけどお前さあ、女っ気は全然無いの?店も一人じゃ大変だろう。そろそろ身を固めたら?」
「うーん、ずーっと店に居て自転車いじってるか乗ってるかだからなあ。彼女作る暇ないっすよ。でもね、最近気になってる娘はいるんですよ。チョッと変わってるんですけどね、3日続けて『空気入れ貸してください』って来たんです。『パンク見ましょうか』って言ってもそれはいいって言うし……」
「バカって言うか、鈍感って言うか、チャリンコ以外の事となるとからっきしダメだねお前って奴は!3日続けて空気入れに来るなんてお前に気があるに決まってるジャン!さっさと誘ってうちの店で美味しいディナーでもご馳走しなさいよ!」
 いつも他の常連さんやお店の奥さんは笑いながら二人の漫才のような会話を聞いているのだが今日は皆が口をそろえて「そうだ誘うだけ誘ってみなよ!」なんて言ってけしかている。当の本人もまんざらでは無い様子だ。

「じゃあレースが終わったら誘ってみよう!だけど食事はよその店にしまーす。ここじゃあ皆のさらし者になるだけだもんね。悪いけどオヤジさん、そうさせていただきますっ!!」
 みんなの笑い声に包まれてそんな秋の夜はふけてゆきました。

 さてこの先、この自転車屋さんの恋の行方はどうなるのでしょうか?それはまたの機会のお楽しみと言う事で……


                     
fin  2008.11


再会
(ある洋食屋の風景 menu10 マカロニグラタン)
「お母さんは元気か?」十年ぶりに訪れたその洋食屋で再会した娘に対しての第一声は思わず出たそんな言葉だった。
「相変わらずいろんな友達とあっちに行ったり、こっちに行ったり、仕事も遊びも忙しいみたい」あまり関心が無いように答える彼女、二人は昔からあまり相性の良い母娘とは言えなかったことを思い出した。
 
 一人娘が十歳の時に私は妻と別れた。お互いに仕事を持っていた私達夫婦はすれ違いも多く、いつしかギクシャクとした関係になってしまい、私が長期の海外勤務に就く時を機会に別々の人生を歩くことになった。娘は妻が引き取った。互いの所在は連絡してあったのだが妻にも娘にも一度も会う事無く十年の時を過ごしてしまった。

 私は二十歳になった娘に一目会いたくて、別れた妻に連絡を取ってみた。娘は少し戸惑ったようだが、私が指定した懐かしいこの店ならとやって来た。
「この店には三人でたまに食事に来たよな。覚えてるか?」
「お父さんもお母さんも話が弾まなくって、いつも私を通しての会話だった。でも、滅多にない家族揃っての外食はとても楽しかったよ。このお店には私の思い出が詰まっているの」彼女は三人の生活での数少ない思い出を振り返る。娘にとって大切な時期にいい思い出をあまり作ってあげられなかったと後悔している私。私の気持ちを察してそんな事を言っているのだろうか。それにしてもまだ何となく、ぎこちないふたりの会話だ。

「お待ちどうさま、マカロニグラタンです。熱いので気をつけて召し上がってくださいね」お店の奥さんが運んできたのは冬場の限定メニュー、マカロニグラタンだ。
 今まさにオーブンから出てきたばかりのそれは器のふちのホワイトソースがグツグツと熱に踊り、香ばしいチーズの香りを漂わせる。まるで私達のテーブル全体を暖めてくれるようだ。
「おい、熱いから気をつけろよ。マカロニグラタンはなあ――」
「『マカロニの穴の中にも熱いホワイトソースが詰まっているから油断するなよ』でしょ!お父さん、いつもこれを食べる時に私に言ってくれてたよね」
「へえ、覚えているんだ。お前もお母さんもグラタン系は大好きだったよな」熱いグラタンと格闘しながらその日初めてふたりは笑い合った。

「お前も今年で二十歳だよな。俺も何かお祝いしたくてさ、お母さんに連絡を取ったんだ。来てくれるかどうかは少し不安だった。ありがとうな、来てくれて」
「少しは迷ったけれど私だってお父さんには会いたかった。それより、ねえお父さん、私と話す時に自分のことを『俺』なんて言わないで。なんだか私のお父さんじゃないみたいだよ。昔みたいにお父さんは『お父さん』って言ってよ」
 十年ぶりに会った娘に対して自分のことを「お父さん」とは言いづらく、意識して「俺」なんて言ってはみたものの、私も少し違和感を感じていた。娘にそう言われて、離れていた十年間の距離が少しだけ短くなった気がした。正直、娘に責められることを覚悟して来たのだが、辛い思いをさせてしまった私を彼女は受け入れてくれるようだ。そして意外な事を話し始めた。
「お父さん、私、お母さんと性格は合わないけど気持ちはよく解るの。忙しく飛び回っているのはきっと寂しさを紛らわせる為だよ。お母さんは今でもお父さんを好きだと思う。別れたことは後悔しているみたいだよ」
 私は十年間、娘の成長の過程を見られなかった事を大いに後悔をしている。そして、妻の存在が心に大きく残っていることに気づき、その心の穴を埋める様にがむしゃらに仕事に打ち込んで過ごしてきたのだ。
 
「そうか、実はお父さんも別れて初めてお母さんの存在の大きさを感じたんだ。だからもう一度いろいろと話がしてみたい気持ちがあるんだ」
 娘は大粒の涙を流しながらも晴れやかな笑顔を私に向て言った。
「もう一度、家族のやり直しが出来たらいいね!」
「過ぎてしまった十年は取り戻せないけれど、これからの三人にとって一番いい道を探そうか」その日、私は娘に初めて涙を見せてしまった。
 帰り際、次の日曜日に三人で食事する約束をした。もちろんこの店で。

 娘との再会が切っ掛けで実現しそうな三人でのテーブル、三人で食べるマカロニグラタン。カウンターの向うでオヤジさんと奥さんがやさしい微笑を私達に向けている。

                     
fin  2009. 1


二人、ふたたび
(ある洋食屋の風景 menu11 スパゲッティ ナポリタン)
 メニューに載っていない料理も、材料さえあればなるべくリクエストに応える様、私は心掛けている。年配のお客様などは昔ながらの洋食を好むようで、スパゲッティといえば「ナポリタン」のリクエストが多い。玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、ハム等が入った、昔ながらのナポリタン、それも凝ったトマトソース等を使うのではなく、トマトケチャップとウスターソースの味がいいようだ。私の店では隠し味に自家製のデミグラスソースと生クリーム、バターでまろやかに仕上げる。
「おやっさん、あそこの二人、またナポリタンですか?いまどきナポリタンなんて……メニューには載っていないスパゲッティですよね、しかも二人で一人前を分けて食べるなんて我ままを聞いてあげてる割には儲からないお客ですね」奥の席で食事をしている年配のカップルを見て大食らいの常連が無神経な言葉を私に投げかける。
「しっ、聞こえたらどうするんだよ!あのお歳だもん、二人で一人前が丁度いいんだろう。メニューに無いナポリタンだって別に手間がかかる訳じゃないし、お安い御用だ。年配のお客さんは来てくれるだけで有り難いじゃないか、俺はああいう人達は大事にしたいんだよ」

 最近ランチタイムに週一くらいの割合で現れる70歳近くと思われるカップルは近所の干潟公園までウォーキングをしているらしく、その途中で休憩を兼ねた食事を私の店でとってくれる。いつもニコニコしている二人は生き生きと人生を楽しんでいる様に見受けられ、何とも微笑ましく、私は彼らを見ているだけで心が和むような気がするのだ。
「今日も我ままを聞いてくださって有難うございますね。私達、もう歳だから二人で一人前が丁度いいんですよ。お宅にとっては嫌なお客でしょうけど味も私達の好みに合っているし、落着いた店構えもとっても気に入っているの。またよろしくね」
「こちらこそいつも有難うございます!お口に合って光栄ですよ。私も子供の頃に母親が作ってくれるスパゲッティといえばナポリタンでしたから、いつも昔を思い出しながら楽しく作らせて貰ってますよ」二人を見送った後は大食らいの常連がカウンターに残っているだけだ。
 彼は私の店が入っているビルの二階にオフィスを構える便利屋だ。水周りの修理やエアコンのクリーニングなど私にとって彼の存在は正に便利なものだ。
「おやっさん、何だか最近不景気ですよね。しょぼい仕事が多くて、疲れるばっかりでろくな稼ぎになりませんよ。もっと割りの良い仕事の依頼がこないかなあ……」
「小さい仕事でも有るうちは誠実にコツコツこなしたほうがいいよ。そうやってお客さんの信用を確実に広げていけば悪い事は無いって!」
「そんなもんすかねえ」一発大きな仕事をしてみたいなんて夢のようなことを言っている彼に少し説教じみて言う私だって実は同じ様に考える事がある。まあ、それが男ってもんだろう。
「しかし、さっきの二人は仲の良い夫婦ですよね。家はこの近所なんですか?」
「いや、詳しくは知らないけど少し遠い所に住んでいるみたいだよ。だけど新しく出来た駅前のマンションに引っ越してくる様な話をこの前チラッとしていたなあ」

 次の週にもまた例のカップルがやって来た。カウンターには便利屋も座っている。いつものようにスパゲッティナポリタンを仲良く分けあう二人のテーブルはまるでそこだけが違った緩やかな時間が流れてホンワカとした空気が漂っている様だ。
「ご馳走様でした。今日も美味しく頂きました。ところで、こちらのお店は何人まで入りますか?二十人位でパーティなんて出来るでしょうか。実は私達、今度結婚して駅前のマンションに越してくるんです。そのお祝いを両家の親戚やウォーキング仲間達がしてくれると言うんです。折角だから是非とも私達のお気に入りのこちらでと思いまして……」
「えっ?結婚って、てっきりお二人はご夫婦だとばかり思っていました。それはオメデトウございます!二十人位までなら大丈夫です。精一杯やらせていただきますよ!」
「知らない人からすればどう見ても夫婦ですよね、私達。お互い、随分と前に連れ合いに先立たれたんですがね、趣味で始めたウォーキングで知り合ったんです。妙に気が合いましてね、美味しい洋食屋さんと大好きな干潟公園が近所にあるこの街で二人、手を取り合って残りの人生を過ごそうと決めたんです」にこやかなご主人はとても幸せそうにそう答え、更にお店にとってありがたい依頼を頂いた。
「私たちのウォーキング仲間と定期的に食事会をする計画があるのですが、こちらのお店でお願い出来るでしょうか?メンバーは私らの様な年寄りばかりじゃなく結構量を召し上がる若い方もいるんです。出来たらバイキング形式が良いんですけれどね」
 簡単な打ち合わせの後、店を後にした二人。それを見てカウンターの便利屋も勘定を済ませ、席を立った。
「さてと、オイラも小さな仕事をコツコツとがんばろーっと!」

                     
fin  2009. 5



対決!
(ある洋食屋の風景 menu12 ハヤシライス)
 高校生になって初めての文化祭があと一ヶ月に迫ってきた。僕のクラス、一年B組の出し物は模擬店に決まった。
「それじゃあ、メニューは無難にカレーライスということで進めたいと思います」進行役がこれまた無難にまとめようとする。
「うちの近所にあるカレー屋さん、とても美味しいんです!お店のレシピは教えてくれないと思いますけど、私たちでも簡単に出来る美味しいカレー作りのコツを聞いてみます」
(あっ、またあのお節介女がしゃしゃり出てきやがった)僕は心の中でつぶやいた。チョッとくらい可愛いからって、みんなチヤホヤしすぎだっつーの!だからつけ上がるんだよ!
「あのー、僕がバイトしてるレストランのハヤシライスもチョー美味いっすけど!」
(あっ、またやっちまった……)あいつがでしゃばると、僕はよせばいいのについつい対抗してしまう。
「おっ、また始まりました!一B名物、委員長と副委員長の対決!」クラスのみんなは僕らのそんなやり取りをいつも面白がっている。ちなみに委員長はあいつ、副委員長は僕。クラス委員の肩書きは担任が勝手に決めたもので僕らの学力とか、中学の実績とは全く関係が無く、厳正なる気まぐれで決めたそうだ。
「それじゃあ、模擬店のメニューはカレーライスの他にハヤシライスを追加して、ハーフアンドハーフっていうのはどうだ?カレーチームとハヤシチームに別れてさあ、お客さんにどっちが美味しかったか判定してもらうなんてのは面白くねーか?」
「うん、それいいね!賛成!」みんなの拍手が教室中を支配する。僕らの担任がいらぬ提案をしてくれちゃたから面倒な展開になってしまった。
「委員長と副委員長の文化祭対決が思わぬ形で実現しました!当然の事ながら、調理責任者は言いだしっぺのご両人で決定ー!と言うことで、いかがですか?」進行役は少し興奮気味でみんなを煽り立てる。
「意義なーし!」みんな大盛り上がりでやる気満々!面倒くさい役だけど、これは僕とあいつがやるしかなさそうだ。
 あいつは余程自信が有るのだろう、僕を見てニヤっと笑いやがった。くそー!憎らしいんだよ!見下したようなその不敵な笑顔!でもやっぱりチョッと可愛い……

 僕とあいつは中学からの同級生。家も割りと近く、小学校は違うけど存在はよく知っていた。中学一年から三年間同じクラスになり、何の因果か一緒の高校を選び、またもや同じクラスだ。そして悔しいけれど何をやってもあいつの方が一枚上手、だからつい僕の対抗心に火が付いちゃうんだ。

 高校生になって約半年が過ぎ、クラスも大分まとまり始めてきた。店作りはみんなのアイディアを出し合った結果、昭和レトロ調に落ち着いた。日本の洋食の原点と言えるハヤシライスとカレーライスを昭和チックな雰囲気で食べてもらおうと言うのがコンセプトだ。
 ハヤシライスチームは僕のバイト先のシェフにレシピを伝授してもらった。教わったのは市販のデミグラスソースを利用した簡単に出来る物だったが結構本格的な味で自信作に仕上がった。
カレーチームのあいつにも試食してもらった。
「えっ?これが市販のソースを使って作った味なの?すごいじゃない!めっちゃ美味しいよ!敵ながら天晴れね」生意気なんだけどあいつの良い所は意地を張らず、素直に自分の気持ちを伝えることだ。その点は僕も好感を持っている。
 僕らハヤシチームもカレーチームの試食をする。やはりカレー店のシェフにコツを伝授されたらしいそのカレーはどこかホッとするやさしい洋食屋さんの味っていう感じだ。
「うん、これが昭和の香りなのかなあ?どこか懐かしい味のこのカレーはお客さんの心を掴みそうだね。こりゃあいい勝負になるね。本番が楽しみだよ」僕もあいつにエールを送る。
 店作り担当の連中もがんばってくれた。昭和の時代に活躍した卓袱台やら扇風機、炊飯器など結構物置の隅に放置している家庭が有るもので、それらを調達し、大活躍してくれた。
 僕らの教室がだんだん昭和チックに変身していく様を見ていたら担任にけしかけられた勝負など、僕の気持ちの中ではもうどうでもよくなっていた。僕のハヤシライスとあいつのカレーライスで文化祭が盛り上がってくれればそれでいい。それが僕の素直な気持ちだった。
 文化祭当日、僕らの店は大繁盛だった。昭和レトロ調な雰囲気が大いにうけて若い人から年配者まで、大勢のお客さんが来店し、僕たちの料理を食べてくれた。

 あれからもう十二年の月日が流れた。僕は今日、久しぶりに昔バイトしていた洋食屋に来ている。もちろんオーダーはハヤシライスだ。カウンター越しにオヤジさんが懐かしそうに僕に話しかける。
「なあ、あの時の勝負、どっちが勝ったんだっけ?結局おしえてくれなかったよなあ」
「さあ、どうでしたっけ?お前、覚えてる?」僕の左にはあいつが座っている。
「うーん、カレー屋のおじさんにはカレーって言ってあるからオヤジさんにはハヤシっていうことにしましょう!」
「なんじゃそりゃ!まあ、今さらどうでもいいや。あそこのカレーが美味いのは俺も認めてるからね」

 僕たちの笑顔の真ん中には僕たちの一粒種がチョコンと座り、ハヤシライスを頬張っている。

                     
fin  2009. 9



逢いたい……
(ある洋食屋の風景 menu13 ロールキャベツ)
 コートの襟を立てて背中を丸めながら歩く人々の姿が目立ってきた。夏には眩しいほど茂っていた緑の葉たちがその色を変えて地へと舞い降りてゆく。木枯らしにそれらが踊らされ、私の店の玄関前に吹きだまる。家内は毎年今の季節になるとこのビルの構造と設計者に文句タラタラだ。

「冬季限定メニュー第一弾!ロールキャベツはじめました」今日から提供するために昨日の定休日に今年初めて仕込んだロールキャベツのポップを貼る。季節が移り変わる速さ、時の流れの速さに歳を重ねた自分を改めて感じ、小さな溜め息をついたりする。溜め息をつくこと自体が歳をとった証拠なのか……

「おっ、ロールキャベツがはじまったね!おたくのロールキャベツを食べるといよいよ冬が来たって感じるんだよね」
「それは有難うございます。毎年十二月の初め頃から中頃までがロールキャベツ、その後がオニオングラタンスープとマカロニグラタンで、年が明けたらボルシチ。冬メニューは皆さんのリクエストがいろいろ有りますが、一度には作れないからそれぞれを期間限定にさせてもらってます」そんなやり取りが毎年常連さんとの間で交わされる。

 当店のロールキャベツは自家製のスモークベーコンやニンジン、玉ねぎ、マッシュルームなどの入ったトマトベースのスープで煮込むタイプの物で、初めての人は自分のイメージするロールキャベツとは違い、少し戸惑うようだ。しかし、実際に口にすると「これは家では味わえないレストランの味」と皆さんが気に入ってくれる。

「カランコロン♪」ドアを開けて入ってきたのは、以前に私がオニオングラタンスープについてコラムを書いたことのあるタウン誌の編集者だ。私よりふた周りほど年下の彼女はコラムの依頼や広告の営業が縁でちょくちょく食事に訪れるようになった仕事熱心な元気娘だ。
「お久しぶりでーす!そろそろオニオングラタンスープが頂けるかと思って来てみたんですけど、まだみたいですね。でも、あのロールキャベツのポップ、メッチャ美味しそうですね!パンとサラダを付けて一人前作っていただけますか?」
「そういえば、君は去年の今頃はまだうちに出入りしていなかったから、ロールキャベツはお初だな。まあ、味わってみてくれよ」
 ちょっと深めのスープ皿の中央に俵型のロールキャベツとミネストローネ状のスープを盛り付ける。スープにはバターとほんの少量の牛乳が隠し味に加えてある。実は当店のロールキャベツはこれが味の決め手なのだ。
 スープもパンに付けて残さずに平らげた彼女だが何故か急に元気が無くなった。
「どうした、あまり好みの味じゃ無かったのか?」
「いえ、とっても美味しかったです。今まで食べたロールキャベツの中では1です」
「じゃあ、何で急に元気がなくなったんだよ。君は元気が取り得のはずなのに」
「実は、私には遠距離恋愛の彼が居るんです。その彼が大のロールキャベツ好きなんです。遠距離のうえお互いに仕事が忙しくってもう半年以上も会ってなくて……こんなに美味しいロールキャベツを頂いたら何だかホッとして急に彼を思い出したんです」ついには彼女、他のお客さんの目もはばからずに泣き始めてしまった。私と家内はどうすることも出来ず、ただ黙って彼女を見ているしかなかった。いつもがんばって元気良く仕事に飛び回っているのは彼に会えない寂しさを紛らわせていることも少しはあるのだろうか。

「あっ、すみません、ちょっと電話に出てきます……」携帯のバイブが鳴ったようだ。彼女は涙を拭いながら外に出て行ったが、少しすると晴れやかな顔で戻ってきた。
「彼が明日、日帰りの出張でこっちに来るっていう電話でした。こんなチャンス滅多に無いから今日の最終電車で私の部屋に来てくれるって言うんです!」
 さっきの泣きべそはどこへ行ったのだろうか、彼に会える嬉しさが体中からにじみ出ている様だ。その後はこちらから聞きもしないのに彼との馴れ初めや、彼の性格、仕事、趣味、どんなところが好きだとか、ああでもない、こうでもないと一人で喋りまくっている。
「あっ、いけない。もうこんな時間だ!早く帰って部屋の掃除をしなくちゃ」勘定を済ますと、そそくさと帰ろうとする彼女。まったくもって調子のいいやつだ。
「さっきまで泣いていたカラスがもう笑っていやがる!まあ、君はそのぐらい元気でなくっちゃ、こっちも調子狂っちまうけどね。ほら、これ、持って行きな。レンジで温めて彼氏に食わせてやるといい」私はテイクアウト用のパックに詰めたロールキャベツを彼女に手渡した。何度も頭を下げながら店を出て行った彼女、まったく騒々しい一夜だった。

 まだ見ぬ彼だが彼女と二人で、私の作ったロールキャベツを仲良く分け合って食べる姿を想像すると何だかこちらの胸まで暖かくなったようだ。
                     
fin  2009.11



おいしいスープの作り方5
(ある洋食屋の風景 menu14 オニオングラタンスープ)
 <オニオングラタンスープについて>
 お客さんに聞かれて返事に困る質問って皆さん何だか解りますか?すべての料理人が同じ意見とは存じませんが私に限って言わせていただければ「一番のオススメは?」この一言なんです。
 特に初めてご来店の方はどんなお料理がお好みか、お魚が好きか、お肉が好きか、パスタが好きか、ピッツァが好きかも解らないし……どんなお料理が食べたくてご来店になったかも解らず唐突にそう聞かれるのが一番困るんです。
 結局いつも私は「メニューに載っているお料理全部がオススメです!」って答えちゃうんですけどね(笑)
 実際にどの料理も当店の場合は手作りですので、各々の料理にはそれぞれ強い思い入れがありますし、どれも召し上がって頂きたい品ばかりなのです。「出来が悪い子ほど可愛い」って訳じゃあないですけど、あまり人気のないメニューでも私にとっては愛着のあるとても大事にしたい料理もあったりするんです。そういうのも是非、召し上がって頂きたい物です。
 話は本題から随分離れてしまいましたね。今日は「オニオングラタンスープ」についてお話させていただきます。冬に美味しいスープっていろいろ有りますよね。
 ミネストローネ、クラムチャウダー、季節の野菜を使ったポタージュスープなどなど、寒い日にアツアツのスープを頂くと、何だか心まで暖かくなるような気がしますよね。今日のお話の主役「オニオングラタンスープ」は冬季限定の当店人気メニューでもあります。
 このメニューをお出ししている間だけは先ほどの聞かれて困る質問「一番のオススメは?」に迷わず「オニオングラタンスープを是非!」ってお答えしちゃいます(笑)
 「オニオングラタンスープ」には美味しい理由がいっぱい詰まっています。まずはベースになるコンソメスープ。鶏がらや香味野菜などで時間をかけてチキンブイヨンを作ります。そのチキンブイヨンをベースに牛の挽肉や卵白、香味野菜などで、これまたジックリとそのエキスを引き出したコンソメスープを作るのです。時間にするとチキンブイヨンで四時間、ビーフコンソメで六時間、合計で約十時間はこの時点で費やしています。そしてあの甘さの素、玉ねぎのソテーです。限りなく薄くスライスした玉ねぎを茶褐色になるまで弱火でゆっくりと焦がさない様にソテーします。これがまた根気のいる作業です。気の短い私にはこれが一番辛い!(笑)
 これでやっと準備完了です!
 オーダーを頂きますと、コンソメスープを温めオニオンソテーを溶き、器に注いでバケットのスライスとチーズをタップリとのせてオーブンで焼き上げてお客様にお出します。自分で作りながらお客様に供するたびに「うー、うまそー!」なんて唸ってしまいます(笑)
 ご家庭でインスタントのコンソメスープで作っても、なかなか美味しくは出来ません。このスープはぜひともレストランで味わってもらいたい物です。出来れば当店で!(笑)
 玉ねぎの甘味とビーフコンソメの旨味、トローリとしたチーズの香ばしさ!ああ、私もこれを書いているだけでもう口の中に唾が……
 もう、我慢が出来ないので、この辺で失礼してこれから作って頂きまーす! 
                                             (シェフ談)

「こんな感じで良かったか?タウン誌のコラムなんて書いたことねえからさ、思いのままに書いちまったよ。あとはプロが上手く修正しておくれ」
「いやいや、このままでいけると思いますよ。字数制限もちゃんと守って頂いているし、後は上司のチェック次第ですけど問題ないでしょう。これからもちょくちょくお願いすると思いますのでよろしくどうぞ!」
「ちょくちょくは無理かもしれないけど、暇な時ならまた書くよ」
「それよりシェフ、これ読んでたら私も是非オニオングラタンスープが頂きたくなっちゃたんですけど。今、作っていただけます?」
                               fin 2010.1

 


ハッピーバレンタイン!
(ある洋食屋の風景 menu15 ガトーショコラ)

「みなさん、こんにちは!当店の料理教室にようこそ!今日はバレンタインデーにちなんでチョコレートをたっぶり使った“ガトーショコラ”をつくりましょう。お菓子作りは大変なようでやってみると意外に簡単で、美味しく出来上がった時はとってもハッピーな気持ちになれますよ!では、まずはレシピをご覧になってください」

<材料>(卵はLサイズ)
a セミスイートチョコレート 150g
  無塩バター         150g

b 全卵       1個
  卵黄       3個分
  グラニュー糖 40g
     
c 卵白       3個分
  グラニュー糖  50g

  薄力粉     35g
  牛乳       100cc

<作り方>
aをボールに入れ湯煎で溶かし人肌に温めた牛乳も混ぜておく。bもボールに入れ湯煎にかけながら白っぽくなるまで掻き立てる。
cでメレンゲを作る。
aとbを数回に分けながら良く混ぜ、振るっておいた薄力粉をサックリと合わせる。
更にメレンゲを数回に分けながらサックリと合わせる。底と側面にクッキングシートを敷いた型に流し湯煎にかけ160℃のオーブンでゆっくり焼き上げる。(型の大きさによって変わるが大体、約1時間ぐらい。竹串を真ん中に刺して何も付いてこなければOK!)
牛乳を温める時にインスタントコーヒーを15g加えるとコーヒー風味でこれまたグッドです!
 
「レシピをご覧になって大体のイメージがつかめましたでしょうか。それではこれから私がレシピにしたがって実演します。質問がありましたらご遠慮なくどうぞ」

 当店の料理教室は最後にその日のメニューを食べながら皆で談笑するのが恒例だ。今日は初めて男性の参加者が居て、熱心にメモを取りながら私の実演をカメラに収めていた。年の頃はニ十代の半ばだろうか、やさしそうな穏やかな顔つきの青年だ。
「うちの料理教室にはじめて男性が参加してくれてとても嬉しいですよ!」
「今年は逆チョコなんて言われているようで、彼女にどんなチョコをあげようかと迷ったんです。どうせなら手作りにしよう思いまして、お宅の料理教室に参加してみました」
 そして、彼は私にある計画を打ち明けた。
「実はねシェフ、このケーキが上手く焼けたら僕は彼女にプロポーズをしようと思っているんですよ!」
 私は彼にポイントを伝授し、さらに一言付け加えた。
「上手く焼けなくても彼女にはプロポーズしなよ!大丈夫、きっと君の気持ちは伝わる筈だから」

 それから毎年、彼はこの日が近づくとガトーショコラを「奥さん」の為に焼くのであった。


                     
fin  2010.2



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